光専寺

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■所在地佐賀市諸富町大字寺井津434
■年代中世
■登録ID1649

浄土真宗本願寺派
山号 護命山
本尊 阿弥陀如来
開基 教明教師
沿革
教明教師の祖先は清和天皇、貞純親王にはじまり、源の姓を名のり、武田刑部小輔太郎信重をへて甲斐刑部小輔信堯は細河讃岐守に属し、肥後(御船城主)に住しその子甲斐民部大輔神四郎は、大永年間(1520~1531)肥後より来て万行寺で修学、その後肥前に住し、出家して教明と号し、荒蕪不毛の地を開拓し一宇を建立。のち3畝21歩を拝領して光専教寺を開いた。当国真宗最初の道場といわれた。教明民部入道83歳の高齢で天正16年(1588)6月1日卒した。代々長寿者で知られている。
本尊の阿弥陀如来は鎌倉仏で源信僧都の作といわれ、すこぶる精巧を極め、有名である。
その他、「甲斐家系図」「寺井末代定置状」「年中雑記録」「御舎利」「名号入りあわび」「懸仏」「本尊再興記」「大友宗麟の援助依頼状」等多数の古文書や旧国主松平丹後守寄贈の「金光明最勝王経(全10巻)」が現存している。

出典:諸富町史P.1248

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