大麒麟

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大麒麟

■所在地佐賀市諸富町
■年代近代
■登録ID1633

力士。本名堤隆能。「江戸の大関より郷土の三段目」という言葉がある。まして、ご当所大麒麟は正真正銘の天下の大関である。堤隆能は昭和17年(1942)6月20日、諸富町徳富において、整骨師堤善治、カツの三男として生まれる。少年時代の彼は、知、体、文字通り心身ともにすぐれた健康優良児で、高校進学か角界入りかでずいぶん悩むが、昭和33年の春、高校入試の前日、土俵に生きる決意をし、大相撲二所ノ関部屋に入門。昭和37年7月、20歳の時、シコ名も麒麟児と改め、晴れて関取(十両)となった。昭和38年5月、13勝2敗で十両優勝、同年9月、新入幕、その場所けいこ中に左足骨折で、一度は幕下まで落ちたが、不屈の闘志で盛り返し、持ち前の足腰のよさと前さばきのうまさで頭角を現し、横綱柏戸をしばしば破って“大物キラー”の異名をとった。昭和45年5月、西関脇で大麒麟と改名、同年11月、晴れて大関に昇進、25場所務めた。幕内在位中、殊勲賞5回、技能賞4回を獲得する。昭和49年11月に引退し、年寄・押尾川を襲名。2年後、東京都江東区木場に押尾川部屋を創立、親方として、師匠・二所ノ関が果たせなかった望みと、そして、自分が達せなかった今一つ最高位・横綱の夢を、青葉城、麒ノ嵐、益荒雄など四十数名の弟子に託して養成に力を注いだ。また、日本相撲協会の監察委員を務め、大相撲の発展にも尽力した。

出典:諸富町史P.1301