江副 靖臣

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江副 靖臣

■所在地佐賀市諸富町
■年代近世
■登録ID1610

江副は嘉永4年(1851)、佐賀藩士、野口惣三の三男として佐賀郡大堂村(現諸富町)に生まれる。幼名を又四郎。のち惣一と改め江副家の養子となる。弘道館に学び、17歳で江戸詰め、明治維新後、慶応義塾に入り、また横浜で英語学を学んだ。明治7年、24歳の時、佐賀戦争では征韓党に属し、のち同志と共に戊寅義塾を起こす。これより先、明治5年、初めて『佐賀新聞』を創刊するが幾もなくして廃刊し、明治16年、佐賀活版社を設立、翌年8月1日、創刊号が出されて以来、幾多の苦節を経て、今日の隆昌を見るに至る。新聞事業のほか、明治19年には代言人(弁護士)となり、また佐賀取引所設立に奔走する。翌20年の九州鉄道会社設立では取締役を務め、同成会を組織し、次いで佐賀市制実施のために大いに尽力する。佐賀市議会にあること、明治22年から22年間(うち議長16年)。また県会議員に挙げられること4回(うち議長2回)、明治45年5月、衆議院議員に当選する。そのほか起業社を起こし、佐世保新聞社を経営し、あるいは欧米を視察するなど多方面に活躍した。大正4年(1915)4月24日、衆議院議員就任中に没す。享年64歳、佐賀郡本庄村(現佐賀市)高伝寺に葬る。

出典:諸富町史P.1286