ゲンシキ(玄式・源式)網漁

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ゲンシキ(玄式・源式)網漁

■所在地佐賀市諸富町
■登録ID1569

諸富町のゲンシキ網漁が、いつごろ始まったか明らかでないが、古くから盛んであった。
明治20年ごろ、既に熊本県に出漁していたが、その関係で熊本県にゲンシキ網漁を教えて、感謝されたが、熊本県でも盛んになり、次第に佐賀県からの入漁を敬遠するようになった。
ある年、入漁許可の更新が不許可になった。それまでは佐賀県から100隻が入漁していたので、熊本県に交渉してもらい、やっと、60隻が許可になった。
それは、入漁していた宇土郡のゲンシキ網漁の漁民が莚旗を押し立てて、熊本県庁に押しかけ、佐賀県よりの入漁を猛烈に反対したという、いきさつがあったからである。
また、長崎県にゲンシキ網漁に適する漁場があったので出漁して、長崎県の漁民に教えたが、だんだん、長崎県側にゲンシキ網漁の船が多くなり、佐賀県の出漁を排斥したので県に交渉して、入漁を認めてもらったことがあった。(『有明海の漁撈習俗』の中の諸富町古老の話)

長崎県や熊本県など他県へ、ゲンシキ網漁を教えに行った人たちやゲンシキ網まで作ってやった人たちが今なお生存している。
ゲンシキ網漁は流し網漁撈の代表的なもので、とくに「搦ゲンシキ」の名で知られ、漁休みの搦地区の道路の傍には、網干しの竹柱が林立し、網の修理、渋打ちなどの整備が行なわれ、道も狭いほどであった。
この網は潮流と直角に下ろし、底には重り、上には桐材のアバ(浮かし)をつけ、両端には目じるしの樽をつけ、潮流のまま流す。
網の長さは300mにも及び、丈は3m余り、もとは麻糸であったが木綿糸となりナイロン糸となった。網は海底ちかくを流れていく。
時期をみて船から網をたぐり寄せ、魚を揚げ、これをくり返す。網の目は魚によって、荒目(太目)はグチなど、中目はスエビ(くるまえび)で、スエビの成長により替える。細目がマエビ(しばえび)用である。
漁期はスエビが4月〜10月で、マエビが10月〜3月までであった。
因みにエビは昼間は下にもぐり、夜に出てくる。また、曇った日と潮流の濁った時は昼も出るが、エビが昼間網に入ると夜は入らぬ、網の上を泳いでいってしまう。
この網を流すには、岩礁や沈没船など海底の状態を知りつくして、流さぬと網をひっかけて大損害を受ける。ここから流したら、どう流れるかという勘が働かないといけない。古老たちは有明海の海底の状態を知りつくして、年老いても覚えていて、図に描けるという。
漁の上手な人は岩礁や沈没船のあるところに、魚類が多くあつまるので、障害物にすれすれに流したり、危険なところは古網を使って魚獲量をあげた。

出典:諸富町史P.1082