近藤 末(旧姓田中)

  1. 久保田町
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近藤 末(旧姓田中)

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1494

明治37年〜昭和63年(1904〜1988)看護婦
 久保田町永里において、田中房吉の六女として出生。久保田村立思斉尋常高等小学校を卒業後、久保田町立実科女学校に入学、中途より日本赤十字社救護看護婦を志し、大正13年(1924)資格取得、広島・下関陸軍病院に勤務。昭和4年から3年間、佐賀県師範学校付属小学校勤務、学童の保健・体位の向上に尽力した。満州事変勃発により、選ばれて日本赤十字社臨時救護班要員として召集され、龍山陸軍病院・会寧陸軍病院に勤務、戦傷病者の看護にあたる。戦争の非情な情景に胸を打たれ、救護班解散直後『銃後に叫ぶ』という戦争体験記を発刊、国民の心構えに警鐘を鳴らす。日本赤十字社山口支部病院総婦長兼講師を務める。懇望されて、日本赤十字社朝鮮本部病院の総婦長・講師として京城に赴任。寄宿舎の舎監として看護婦の監督に当たり、生徒の教育に専念した。特に、朝鮮人と日本人との融和に努力し、院外で婦人会の講師として活躍した。日中戦争が厳しさを増す中で、戦地将兵の苦難を思い戦地勤務を熱望、日本赤十字社の推薦により陸軍直属として大陸に渡り、昭和14年(1939)上海兵站病院看護婦長として活躍。昼間は傷病兵看護に奔走し、夜は『陣中看護記』の執筆に夜を徹し、昭和20年(1945)1月、日本赤十字社推薦図書して5千部が発行された。戦後の著書に『新日本の黎明−衛生日本建設のために−』、『涙の看護日記五十年』(日赤教え子たちの比島敗走秘話)がある。復員後は郷土の久保田町立思斉中学校に養護教諭として奉職。財団法人児童福祉施設めぐみ園理事10年。晩年良緑に恵まれ佐世保市に住む。享年83歳

出典:久保田町史 p.325〜326