原田 政雄

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原田 政雄

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1490

明治32年〜昭和29年(1899〜1954)菓子製造業
 久保田町徳万(町東)昔の長崎街道添いの菓質屋(菓子製造販売と質屋)の原田卯三の長男として出生。家業の菓子製造は、砂糖菓子・羊羹などで祝儀用の須賀台も作っていた。小学校の頃は清潔を好み、絵の上手な少年であったが手先が器用で独楽回し等は芸人並みの美技を見せた。高等科卒業後は家業を手伝い、菓子製造技術の習得や販売に従事した。商売の方法も卸売を止め小売りのみとし、父と共に天秤棒を担いで菓子を売り歩き、厳しい家業に耐えることを学んだ。働き者の父は帰宅してからの売り上げ計算・帳面整理と多忙な1日の繰り返しを見聞し、商人としての経営能力を身につけていった。家での研鑽に満足できず、両親の承諾を得て家を離れ、佐賀市の「曙」をはじめ、長崎の「松翁軒」「凪州屋」等一流の店舗を転々として、熱心に修業を重ね、ゆく先々の店で、旺盛な研究態度を称賛された。大正末期、飯塚への転出を勧められ熟慮のすえ、昭和2年1月、飯塚市住吉町に店舗を開設「千鳥屋」と命名千鳥饅頭を創製、カステラ、丸房露と共に3品専門の店主となったのは27歳の春であった。苦節30年、親より伝授された不撓不屈の精神と、もって生まれた商才に一段と磨きをかけ、菓子の品質向上と優れたアイデアによる宣伝等、千鳥の名声は九州は勿論全国に広まった。昭和11年4月、飯塚商工会議所議員に当選、終焉の時まで理事・監事を歴任、商工会を中心に地域社会の発展に寄与した。
 千鳥屋の精選された菓子は、品評会等に出品する度に高く評価された。昭和8年5月、第9回全国菓子品評会に千鳥饅頭を出品、壱等賞金牌受賞。その後毎年開催される全国菓子大博覧会、品評会に優秀な成績を残している。昭和29年、京都市で開催された全国菓子博覧会では、名誉大賞牌を授与された。品名カステラ。同年4月、高松宮宣仁親王殿下へ、全国名菓代表として京都「都ホテル」において千鳥饅頭をお手渡し献上の栄に浴した。同年10月13日他界した。墓碑は久保田町草木田の龍光寺にある。享年56歳

出典:久保田町史 p.321〜p.322