古賀 文一郎

  1. 久保田町
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古賀 文一郎

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1486

安政6年〜昭和20年(1859〜1945)実業家(酒造業)
 久保田町福富の古賀善八の長男として出生。銘酒「窓乃梅」12代社長。元禄元年(1688)初代古賀六右衛門酒造業を創業、古賀家は歴代酒造業を継承し今日に至る。
 代々研究熱心で、9代の文左衛門は安政の頃摂津西ノ宮にて7ヶ月余の研究を重ね「西ノ宮土産」なる醸造記録を持ち帰り、酒造の改良に勤めた。祖先の酒造に対する熱意を受け継いだ文一郎は、明治11年20歳の春、熊本の時計店において、精巧な検温器を発見、酒の醸造過程での温度の作用するところ大なるを発見、従来の施設を改良し独特の温度の計量法を加え在来酒に優る酒を醸造した。度々灘の地を訪れ、精細緻密研鑽を重ねて新しい醸造法を考案した。数々の研究発表は、九州・県の酒造界の人々の注目するところとなり、選ばれて酒造研究所取締役及び醸造監督という名誉職に推され斯界に貢献した。明治33年五二会発展に尽瘁した功により功労賞・銀杯を授与される。同39年九州の酒造業の発達・改良に尽力した功により農商務大臣より功労賞・金一封を授与される。明治44年特別大演習の際は明治天皇陛下、大正3年には閑院宮殿下御来県に際し、実業功労者として拝謁の栄に浴す。
14代久保田村長。永里地区に3段余歩の試作田を与え、経営農会の指導をした。会員の建立した頌徳碑が部落の稲荷神社前にある。墓は中副の圓光院にある。享年86歳

出典:久保田町史 p.316