市川  潔

  1. 久保田町
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市川  潔

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1478

明治13年〜昭和25年(1880〜1950)政治家
 久保田村小路にて、市川太兵衛の次男として出生。もと古賀の住人で、龍造寺の子孫といわれている。現在の姓は旧藩政時代より使用してきたものといわれている。祖父伊兵衛は戸長役場当時の筆生用掛として勤め、父太兵衛も行政に関与していた。本人は郡役所の書記として4年勤め、その後、東邦電力佐賀支店の営業課長として敏腕をふるう。ついで松島炭坑の用度課長などを歴任し、県下炭山の開発者として名を知られていた。その外、郵便局長、信用組合監事、漁業組合理事長、消防組頭、協会代議員等その功績は広汎に亘る。大正9年(1920)2月、15代村長に就任。基幹産業である農業の振興に力をいれ、当時としては画期的な事業であった、電力による機械潅漑の方式を取り入れ、全村に設置し農民の水利の便を図り、農業の合理化・近代化を1歩前進させた功績は誠に大であった。昭和3年(1928)12月、人格識見を認められ、17代村長に再就任する。その間、教育の機会均等・村民の融和を図るため上・下2校の小学校を合併した。村長のほか久保田駅の合同運送会社社長、久保田自動車商会代表社員などを勤めた。享年70歳

出典:久保田町史 p.308