伊勢講

伊勢講

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1433

 庚申講とともに近世において隆盛をきわめた講であったが、早い時期に消滅し、今はまったく見られない講の1つである。路傍や神社境内に見られる「太神宮」「天照皇太神宮」と刻された石祠が伊勢講の記念碑である。
 伊勢講は伊勢信仰つまり三重県伊勢に鎮座する伊勢神宮(天照大神を祀る皇大神宮〔内宮〕と豊宇気毘売神を祀る豊受大神宮〔外宮〕とからなっている)の信仰集団である。伊勢神宮は天皇家の祖先神として皇室の庇護を受け、私幣をささげることは禁じられ、民衆の信仰とは無縁であった。しかし、時代が下るにしたがって民衆の間に大神宮崇敬が広まった。そうした信仰を広めたのは御師と呼ばれる人たちであった。御師は諸国を巡り御祓大麻を配りあるき商人や農民といった庶民へ参詣を説き広く浸透していった。御師というのは御祈祷師・御詔刀師から始まるといわれるが、祈願・奉幣をとりついだり参詣者に宿を提供したりした。この御師の活動により地域単位による伊勢講の組織がつくられ、伊勢参宮の風を生じ、代参者を立てて行われ、日本全土に伊勢信仰が普及するようになった。庶民にとって、参宮は一生に一度の願いであった。町内には、参宮記念としての伊勢講碑がいくつか見られる。「太神宮」などの刻字塔の他に、雨宝童子を彫ったものがあり、「講衆」として講仲間の名前が記されている。

出典:久保田町史 p.596〜p.598