麦新ヶ江の八幡さん

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■所在地久保田町麦新ヶ江
■年代近世
■登録ID1378

国道207号線、嘉瀬橋の西端から南の方へ下り、草木田を経て約900m行けば「久保田みどり橋」の近くに出る。そこから南東の方向に田地より小高い台地が見える。ここに石祠があり、付近の人たちは「八幡さん」と呼んでいる。
 また、この石祠の北側には正一位稲荷大明神も祀られている。
 八幡さんの石祠の左・右の扉の表には、5・7の桐の紋が浮き彫りにされ、裏側には「安永4乙未(1775)12月吉日」と刻まれている。
 祭礼は、以前は12月15日に行われていたが、今では12月の第2日曜日に、神前に魚、米、野菜などを供えて神事が行われる。
 古老の話によれば、今を去る200年ほど昔、嘉瀬川が現在の流れより更に西、中副の土井の古賀の方へ曲流していた頃、麦新ヶ江は嘉瀬郷15(現、佐賀市)に所属していた。有重の八幡社の分霊を、この現在地に勧請したと伝えられている。
なお、八幡社については、次のとおりである。
 八幡社は、わが国の神社の中で最も全国的に広くお祀りされている神社の1つである。本源は、大分県の 宇佐八幡宮である。奈良時代に八幡神は国の大事業であった、奈良東大寺の大仏建立に関係し、平安期には、平安京近くの石清水にお祀りして、国の鎮護の神として尊ばれた。祭神が應神天皇、神功皇后であるために、皇族の末裔である源氏の氏神となってからは、武家政権の確立と共に武神として諸国の武士たちに崇敬され、全国に祀られるようになった。

出典:久保田町史 p.497〜498

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