姥捨山

  1. 三瀬村
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姥捨山

■所在地佐賀市三瀬村
■登録ID1336

 むかしゃ、姥捨山ちゅうてあったて。米の足らんもんじゃ。年寄の人のおらすぎ食わせられんけぇ姥捨山に捨てんばなんごと、村で決まっとったてったん。そいけんが、誰でん、年寄のおるぎ、どうでんこうでん、姥捨山さい連れて行かんない、どぎゃんしゅうでんなかった。
 その村に、年寄のお母しゃんば持った孝行息子のおって、「俺だけは、どうしてでん、捨つっ気になれんばって、村の決まいじゃっけん、しかたなか。お母さん、かんにんしてくいやい」。て言うたて。そいぎ、母親は「もう、おりゃあ、どうでんかんまん。行くとはよかばってん、あぎゃん遠か山さい、あさんが送って来てくりゅうでが、危なかたん」。て言うて、息子に負んぶされて家ば出らしたて。そうして、ずーっと行きよったぎとにゃ、年とったお母さんな、道々、柴の枝ばポキッ、ポギッて折って行きゃったて。山に着いてから、息子が「こいで、どうでん別れんなんばい。かんにんしてくいやい。おりゃあ、こいで帰っけん」。て言うたぎない。
「道々、ずうっと柴の枝ば折ってええた。おいが戻ったいしゅうでじゃなか。あさんが帰っとき迷わんごとおし折っとっけん。ずうっとそこば通って行きやい。そいぎ道ゃ迷わん」。て、お母さんが言わしたてったん。そいぎ息子は、わが身のこたあ忘れて、子のことば心配さすお母さんば、そのまま捨てて帰る気にゃ、どぎゃんしてもなれんもんじゃ。「村の掟てにそむいて済まんばってえ、家さい帰ろい」。ちゅうて、またかるうて(負ふって)、家さい戻いやったて。そうして、床の下に穴ば掘って、そこばりっばい(立派に)して、かくれさせて、飯てん何てん食わせよらしたてったん。
 そぎゃんしょつたいば、ある日、殿さんから、「灰で繩をなって献上すれば褒美をとらせる」。ちゅて、お触れの出たて。
 百姓たちゃあ、誰でん、灰ばこねて、繩ば作ろうでしたばってん。どぎゃんしても繩にならんと。そいで、その、80幾っのお母しゃんが「そぎゃんことじゃ、繩はできん。そいけん、はじめ繩ばしっかいのうて、そして、そいば、じいっと焼くぎと、灰の繩のでくっ」。て、息子に教えらしたて。そいで息子がそぎゃんしやっぎ、灰の繩のきれえにできたて。そいば庄屋さんに持ってたて、殿さんに献上しゃったぎと、殿さんはそいば見て「これは珍らしい。誰が献上したか。早速召し出せ」。て言わしたて。そいもんじゃ、息子は呼び出されて「こりゃあ、お前、よくぞ灰の繩ができたのう。褒美をとらせるぞ。何でも欲しいものを言え」。て言うて、殿さんから誉められたって。
 そいぎと、その息子が「いいえ。こりゃあ、私じゃございまっせん。実は、姥捨山に捨てんならん八十婆ちゃんが、おるばって、山には捨て得じ、法ば破って、匿もうとったりゃ、その婆ちゃんが教えらしたけん、あの繩ば作っことんでけた。私はどうしても母親ば捨つっこたあできん。わが身はどうなってもよか、年寄りば捨てぇじよかごとしていただきたか」。て答えらしたぎと、「ああ、そうであったか。以後、姥捨山は止めることにするぞ」。て、殿さんから許しの出たて。そいからその姥捨山は禁止になったてったん。いまでも井手野にその山と経塚のあったん。  そこまで。

出典:三瀬村誌p.683〜684