孫太郎観音

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孫太郎観音

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■所在地佐賀市三瀬村
■登録ID1330

 いまから幾百年前の出来事か、つまびらかではないが、三瀬山村今原の杉屋敷に、千古の歳月を経たという杉の大木が立っていた。
 この杉に朝日の影がさすときは、北山陣ノ内村まで陰がのび、夕日の影が照るときは、長谷山観音禅寺近くまでその陰がとどいた。この杉の陰のために一帯の田畑は日照りの時間が短かく、作物のできにまで影響したが、この杉は古くから神木として村人に崇拝されてきたので、たやすく切り倒すわけにもいかなかった。
 ところが或る日のこと、誰の命によるのか、まだ明けきらぬ暗いうちから、コトン、コトンと大きな音を立てながら、一生懸命に大斧を振りかざし、天に聳びゆるこの大杉を切っている者があった。薄明りをすかしてよく見ると、何時からか初瀬の里に一人ぽっちで住む孫太郎という仙人のような白髪の爺さんであった。
 そこへ、同じ白髪の見知らぬ老人がひょっこり現われ、孫太郎爺さんに親しみ深く声をかけた。「おう、誰かと思うたら孫太郎どんかい。えらい早うから気張っとるのう。」
 その声を聞いた孫太郎爺さんは切る手を休めて、
 「どこのお方か知らんばってー、この杉ばっかりは了見にゃこじい(合点がゆかずに)居りまっする。この2、3日ちゅうもんな(というものは)夜通しのごとして気張って切いおるばってー、夕るしい(夕方)仕事ばやめて家さい戻って、翌朝また来て見ると、前の日に切った木のコケラ(木片)が元に戻って塞がってしもうて、あらためて新らしゅう切らんなんもんぢゃー(切らねばならぬものだから)、何日切ったっちゃー(切ったとて)同じことで、ほとほと困っとる次第ばってー、辛抱が第一と思うて精ば出しとるたんたー(たんたー=敬語)。」と、困っている事情をつぶさに物語った。
 そのことがあってから幾日か経った或る夜のこと、孫太郎爺さんが昼間の疲れでぐっすり眠っていると、夢か現か、先日声をかけた白髪の老人が幻のように現われて、静かな口調で、
 「孫太郎よ。おれはお前が杉を倒すのに苦労しているのを見るに見かねたので、よい方法を教えに来た。それはほかでもない。お前は毎日精を尽してあの大杉を切ってはいるが、大体お前の使っている斧がなっとらん。あの斧で千年かかって切ってもあの大杉は倒れんぞ。そのわけはなあ、斧に血流しが刻んでない。それゆえいくら切っても、命の基である血が斧を伝って流れ出ないから、切られたコケラが死なずに生きかえって、またもとのコクチ(切り目)に戻りよる。それゆえ倒れん。夜が明けたら斧を持って鍛冶屋に行き、斧の表と裏に川という字型の血流しを刻んでもらってから切ることだ。また、朝仕事を始める前には必ず山の神を崇める気持ちになって火をたくことだ。」
と言い聞かせたかと思うと、老人の姿は煙のように消えていた。孫太郎爺さんは、今のは夢であったのかと思ったが、その夢が不思議にも道理にかなっているように思われたので、夜が明けるのを待ちかねて早速鍛冶屋に行き教えられたとおりに斧の表と裏に血流しを入れてもらい、それを持って仕事場に出かけた。
 仕事を始める前に、言われたとおり山の神に祈りながら火をたき、血流しのついた斧で大杉を切りはじめると、切れ味がよくて骨も折れず、仕事はどんどんはかどった。
 それからは老人の言ったとおり、切ったコケラは死んだとみえて、もとに戻って切り口を塞ぐこともなく、さすがの大木も遂に倒れるときがきた。爺さんが大きくなった切り口の中にはいり込んで斧を振っていると、大杉は突然、グググーッと大きな音を立てながら根本を離れ、ぐるりと一回りしたかと思うと、ドデンと地響きを立てて倒れた。
 大きな地響きに驚いて集まった村人は、天に聳えて立っていた杉の神木が倒れているのを見たが、不思議にも神木は民家を避けて倒れ、根本の切り口に入って斧を振るっていた孫太郎爺さんの姿は、何一つ残さず消えて、どこにも見付けることができなかった。
 村人はこの不審なできごとを気味悪く思い、神木のたたりを恐れたが、誰言うとなく「孫太郎爺さんその人が実は神木の化身で、爺さんのやったことは神木自身がこの世の寿命を終るときにやるしぐさであったに違いない。」というようになった。
 村人はいままで崇め親しんできた杉の神木を失ったが、そのかわりに神木の化身、孫太郎を神として祠に祀った。人々はこれを孫太郎神あるいは孫太郎観音と呼んだ。
 この事以来、斧を製するときは必ず血流しを入れ、山の仕事初めには火をたくようになったという。
 その後幾星霜、今から凡そ二百六十余年前に提出された孫太郎神社の由緒には次のように記されている。
  場所 三瀬村今原鎮座
     長谷山円通観音禅寺抱宮
  敷地 一畝 御本帳免
  祭神 孫太郎
  享保四年己亥九月日 提出
  佐嘉御本藩寺社奉行殿
    雇神主 吉村掃部家次
        同嫡子斉旨章
  御番所役人豆田与佐衛門基広
  三瀬治部大夫大江房成
  嘉村八郎右衛門貞氏
  嘉村政右衛門貞成
               以上

出典:三瀬村誌p.666〜668