落人の恋 -三瀬山中の悲劇-

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落人の恋 -三瀬山中の悲劇-

■所在地佐賀市三瀬村
■年代近世
■登録ID1327

 この物語は、西江 靖氏の著になる『火の国物語』の一節を拝借して、なるべく原文に近く転載したものである。( )内は新に挿入した注釈。
 旅人の往来も稀な(現在、国道263号線の舗装道路)三瀬峠は、神埼郡の北端福岡県に境する所である。その峻しい坂にかからぬ前、県道(現在、国道)の右に当って(今原)、物凄いばかりの杉の木立と、魔の住むような水の碧い塘とは、注意深い旅人には直ぐに眼につく筈である。尚深く探して行けばその薄暗い木陰に1基の石碑が、文字も分らぬまでに磨滅して、半ば土に埋れているのを看るであろう。
 その石碑こそ、この物語の主人公の眠っているところである。
 ころは寿永の昔、栄華と傲奢を極めた平氏も、屋島の一戦に無風流な義経に追い立てられて、馬の蹄の立て場を失い、此所を先途と戦った壇の浦に脆くも破れて散り散りに逃れ去った群の一人、某〔名を逸す〕という公達は、人目を避けてこの三瀬山内に漂泊の子となったのである。
 栄華の夢果敢なくも破れて、驕奢と権威とを失った若い公達の身には、苦しい現実の圧迫が次第次第に近づいて来るのであった。昨日まで玉簾深きところ、蘭麝の香ゆかしく、花に酔い月に浮かれて、滑らかな膚と柔らかな黒髪より外には、何等の接触をも知らなかった身が、今は逐われて、刺激も色彩もないこの山中に入ったのであるから、堪えられない寂寥と苦痛とがひしひしと迫って来たのは云う迄もあるまい。彼は如何にもしてこの無聊を消そうとした。
 時には慣れない徒歩で山路を辿り、樵夫住む部落に行くこともあった。時には若葉のかげに啼く時烏の声を聞きながら、都の華やかな生活を思い出して、冷めたい袖を絞ることもあった。それでも未だ流転の世相を感じて、真如の月を眺むるほど解脱する訳には行かなかったのである。
 彼は旺盛な欲求を満足せしめんために、恰も小鳥を狙う若鷹のように部落の女に眼を注ぐのであった。
 けれども、都の美女に憧れた眼には、何れも強建すぎて却って醜に見えるものである。とても綾羅の袖長き都人とはくらべものにはならない。しかしながら飢えた者には眼はないのが常である。やがて眼についたのは樵夫の娘、この辺の山中には珍しくも色白の愛くるしい女であった。それで彼は機会ある毎にその女を口説いた。彼の美貌と滑らかな都の言葉には、世を知らぬ初心な乙女心は直ぐに動いた。行末を思うほどの理知は、この娘にはなかったのである。
 今でこそ、尾羽打枯らしてはいるが、かつては練絹を身にまとい粉黛(お化粧)あざやかに玉の階を踏んだ公達。顔なら姿なら、その男振の麗わしさは、深山に笑める姫百合の世知らぬ心を時めかすに充分であったに違いない。
ましてや深山路の夏も浅う、卯の花垣根に仄匂う夕月夜。その悪からず思う人から、蜜にも似た愛の言葉をささやかれては、ただもう胸の血潮が波立つばかり、羞じらう色は頬にのぼって、うなだれたその姿の如何ばかり艶であったかは云うまでもあるまい。
 こうして彼女は、處女十八の誇りを捨てたのである。
 ところが、この近所に一人の若い樵夫があった。日頃から思いをこの娘に寄せていたが、臆して恥じて打ち明くる機会もなく独り片思いに胸を焦すばかりであった。
 娘の方でもうすうすはその気振りを知らぬでもなかったが、いまはもうその男の心を汲む裕はなかった。草深い山家育ちの男と、都の水に磨き上げた優男とを較べては、娘の心はどうしても公達の方に傾くのであった。
 そうして夕べの椽に、目覚めの床に、都の芳列な色彩享楽の話を聞かされては、武運目出度く再び平氏の世ともならば、玉の輿に乗りてとの儚ない虚栄に憧がれたに違いない。
 哀れなのは若い樵夫である。何時までこうしていても仕方がないので、人を介して、やる瀬ない自分の悶える心を訴えたのである。しかしながら、その真心は柳に風と、聞きいれられぬのであった。たびたびの事とて、男の憤りはどんなであったろう。
 失意の男はもう一刻もじっとしては居られなくなった。如何にもしてあの公達を殺さねば、女の心を我が物に占むることはできないと、深く決心して謀らんでいた。逝く雲、散る花、それもみな男の心には怨恨の種となったのである。
 ある夕、宵闇に紛れ、黒い覆面の人の影は、抜足さし足、公達の家に窺い寄るのであった。毒蛇の牙のような瞋恚(いかり)のために、満身の血は宛然火のよように燃えたって、眠れる公達を起しもやらず、呑んだる刃を抜くよと見るうち、闇にもしるき紫電一閃。急所の痛手に公達はアッとの叫びを現世の名残。あわれ玉の緒は絶え果てて、後には腥風、月影細く、虫の声のみ啾々と聞こえていた。
 娘の驚嘆はどんなであったろう。君が一夜の情には、百年の寿命も惜しからじと、睦び合いしも槿花の夢。傷ましくも冷え果てた公達の骸に取縋って、よよとばかりに泣き伏したが、反魂香(焼くと死者の魂を呼び返して煙の中にその姿を現わすという想像上の香)ならぬ現の魂が再び蘇ることはできない。
 それからは夜となく昼となく悲嘆の涙にかきくれていたが、やがて心に許せし亡き夫の後を迫わんと、艶やかな緑の黒髪を振り乱して、狂気の如く塘の岸へ駈寄ったが、そのまま身を跳らしてザンブとばかり・・・。
 その塘が前に云ったそれなので、直ぐ傍の石碑こそ、果敢なき恋路に最後の頁を彩った公達の亡骸を葬った所だと。今は年古りて訪う人もなく、春風秋雨幾百年。ただ更くる夜の燼辺のまどいに故老の物語のみ伝わっているのである。

出典:三瀬村誌p.656〜658