若宮神社

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■所在地佐賀市三瀬村松尾
■年代近世
■登録ID1322

社号 若宮大明神
祭神 應神天皇・神功皇后 大雀命・源 義経
 寿永4年(1185)3月24日、安徳天皇を奉じた平氏の一党は、長門国壇ノ浦の合戦に源氏のために惨敗を喫し、その残党は離散して北肥山内にも潜入した。鎌倉将軍は追捕使を各地に差向けたが、三瀬の山里にも平氏追捕のために差向けられた源氏の武士が、当領をあずかって統治するようになった。
 それらの氏族は、源氏の守護神鶴ヶ岡八幡宮の分霊を勧請し、松尾村の裏側(西北面、陣内の対面)に神社を建立して宗社と定め、社号を若宮大明神と号した。
 その後、地域の宗社として年々祭祀を営んだが、里人は武の神・育児の神と仰ぎ、祈願をこめるものも多かった。
 降って、寛延3年(1750)正月、社殿老朽のため松尾村講中で宝殿拝殿を再建した。そのとき奉献した鰐口の銘は次のように刻まれている。
  春掛 若宮大明神御宝前
  寛延三庚午年正月吉日
     神埼郡下杠山松尾村講中
 それから78年後、文政11年(1828)8月、台風のため社殿が崩壊したので、天保2年(1831)12月吉日、敷地を現観音堂前に移して再建された。
 近代になって明治43年11月、命によって神社の整理統合、いわゆる「寄せ宮」が行なわれ、祭神は野波神社に合祀された。それ以後50有余年を経て昭和36年12月10日、国道沿いの現地に社殿を新築し、4柱の祭神を奉迎して、若宮神社を復興した。
 祭神の応神天皇とその生母神功皇后は、古くから八幡宮の主祭神八幡大菩薩と大帯姫命に擬せられた方々である。大雀命は大鷦鷯命ともかき応神天皇の御子仁徳天皇である。源 義経は源氏の若い御曹子。こうしてみれば、若宮大明神は八幡大菩薩の配下に御子神と若曹子の御霊を祭りこめたいわゆる若宮八幡ともいうべき神社である。里人が古くから武の神・育児の神として世々尊崇してきたいわれもこれではっきりするのである。

出典:三瀬村史p720

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