大祭り

大祭り

■所在地佐賀市三瀬村
■登録ID1300

大祭りを全国的には「霜月まつり」といい、陰暦11月に行なう収穫祭である。宮中の行事としての神嘗祭や、村の鎮守でやった秋祭りも、みな同じ意味をもち、日本の祭りとして重要な祭事とされた。
 村内には地区の氏神が9社あるが、祭りの日数や様式は各社によって多少異っている。
古くは収穫が終ってから、約1か月の物忌の期間を経て収穫祭をしていた。この祭りの日取りが地区によって異なるのは、土地による農事の遅速とも関係があった。
 北九州全般では11月の初の丑の日に、この日のために田に残した稲株を主人自ら刈り取って家に持ち帰り、臼を祭壇として、その稲束を飾り、餅、神酒、大根などを供えて祭る。丑の日に行うので「おうしさま」などと呼んでいるが、稲を神の依代(よりしろ)と考える田の神祭りである。
 三瀬村では丑の日に田の神が帰る日として、この行事を行っているところは多い。
 昔は旧暦11月15日を中心に、その年の収穫を祝い神々や祖先霊に感謝する祭事として行なわれたが、いまは新暦12月15日を中心に行なうところが多い。
 祭りのやり方について共通した例をあげると、地区は幾つかの「ちゃごううち」に分かれ、祭主を「ちゃごううち」廻しで受持つ。各「ちゃごううち」では、祭り宿を各家年毎に輪番に受持ち、費用は祭田の共同耕作の収益でまかなう。祭りは数日間続けられる。その間は「ちゃごううち」の家族全員が、祭り宿に集まって会食をする。
今では1日か2日で終わるところが多い。
 祭主を受持つ「ちゃごううち」は、祭田の耕作、神社の掃除、祭具の準備と祭壇つくり、神饌(お供え)、神職の接待、幣饌料(玉串料)その他、祭事のすべてを担当する。
 神饌としては、米・魚・野菜・御神酒のほかにシトギ(粢)を必ず供える。シトギというのは前にも述べたように、火食以前の極く原始的な食べ物である。どの地区の祭りでもこれだけは例外なく供える。
 お祓と祝詞の儀式がすむと、直会がはじまり、御神酒とシトギをいただく。祝の謡曲(うたい)を長老のうたい出しに合わせて三番うたい、祭主当番の「ちゃごううち」から持参した酒肴で直会の宴をひらく。
 神社での祭典が終わると、氏子は各「ちゃごううち」にひきあげる。各「ちゃごううち」の祭り宿では、餅をついたり(祭典前)、御馳走をつくって、賑やかにお祝いをする。
 祭りの終わりの日には、「ツウワタシ」といって、祭り宿の譲り渡しをやる。昔はツウワタシ用の酒どくりと盃があったといわれるが、今では大きな茶碗かどんぶりに酒をつぎ、今年の宿主がこれを飲みほしてから次の年の宿主へ渡す。次の宿主はこれに酒を受けて飲みほし、宿主受諾の証として、みんなに確認してもらう。そばで見ているものは、その様子がおかしいので、手を拍って大笑いする。
 ツウワタシの由来は知る人が少なく、継ぎ渡しの意味であろうとか、通(神通力)渡しの意であろうとか、あるいは年間のツウ(おできのつうや柿のつうなど、古くなったものがついたのをこの地域ではツウという。)を落して新しくする意ではないかなど、様々に考えられていたが、中鶴杠保氏が古老(氏の祖父)から伝承された話によれば、むかし、ツウガニといって蟹に毛のある大きな蟹がいたが、その蟹の甲をツウといい、このツウを盃にして酒を汲んで渡すことをツウワタシと呼んだとのことで、祭り宿を譲るときにこれを用いる風習があったというのである。
今でも蟹の甲に酒をついで飲むのをツウ酒というので、これがほんとうの由来であろう。
 この大祭りは、戦前までは村びとや子どもらにとっては、ふるさとの最も楽しい行事であった。

出典:三瀬村史p649