ホンゲンギョウ

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ホンゲンギョウ

■所在地佐賀市三瀬村
■登録ID1277

正月7日早朝に行なう子どもの火焚き行事である。
 この行事をやるために、子どもたちは数日前から竹切りをやって材料を集める。なかには大人が手伝ってくれる地区もあった。集められたたくさんの竹で小屋を作り、6日の夜はここに泊って餅などを焼いて食べる。
 翌7日の早朝に小屋に火をつける。火勢が強まってくるとそれこそ真の爆竹で、耳をつんざくような激しい爆発音をたてながら、生竹が火煙天に沖して燃えあがる。
 子どもたちは、「奉吉書(きっしょたてまつる)」と書いた紙を棒の先につけて燃え盛る焔のなかにさしだす。紙は火焔にあふられて勢いよく天に向って舞いあがる。
よけいに上がったものが、字が上手になり願いごともかなうという。
 焔がおさまるとできた炭火で餅を焼く。七ころび八おきと唱えながら、餅を棒の先でころがして焼き、焼きあがったのを食べる。七転び八起きと唱えるのは無病息災を祈る意味だという。
また、大人も子どももこの火で身体を温めると一年中無病息災で過ごせるという。
各家ではこの火を持ち帰っていろりの火にする。
また、鬼の手といって、竹をこの火にあぶって竹さきをまげ、これを、家の門口にかけておくと魔よけになるともいわれている。
 ホンゲンギョウのいわれについては次のような伝説がある。
 むかし、仏教と外道とが、それぞれ自分の信奉する宗教が正しいといい争い、たがいに相手の経文を焼いた。ところが、外道の経文は燃え尽きて灰になってしまったが、仏教の経文は火勢にあおられて空高く舞いあがり、炭のようになっても経文は消えずに残っていた。
そこで、これこそ本源の経で、真に衆生を済度するものは仏法であるということになった。
このことを後々まで記憶するために、毎年正月7日の早朝にこの行事を行なうようになったという。
また、杠地区の野波神社の氏子では、この行事をオニビタキ(鬼火焚き)といっている。
これは、野波神社の祭神である神功皇后が御懐妊になって應神天皇をお産みになるとき、
御出産の予定日がちょうどホンゲンギョウの日であった。氏子たちは早朝にホンゲンギョウの火を焚くのをやめて、皇后の御安産を祈った。その日の夕方御安産のしらせが届いたので、それから小屋に火をつけた。
それ以来この地区では毎年夕方になってから火を焚き、これを鬼火焚きと呼ぶようになったという。
 この外、脊振山天台密教にかかわる法華行の名残ではないかという説もあるが、何れも推測の城を脱し得ないようである。
 ホンゲンギョウは次に述べる七福神やモグラ打ちの行事とともに、子どもたちにとっては年の始めの最も楽しい行事であったが、ホンゲンギョウのまねをして火事を起すような事件があったので、子どもの火遊びを誘発するおそれがあるとして、現在ではどの部落でもやめさせてしまった。
 しかし、池田部落では何とかしてこの行事を後世に伝えたいというので、昭和48年正月に大人が参加してこのホンゲンギョウを復活した。
 神代家では鬼火とよび、百姓たちにまで酒を振舞っているところをみれば昔は大人の行事になっていたのであろう。

出典:三瀬村史p631