旧火葬場跡

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旧火葬場跡

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■所在地佐賀市西与賀町
■年代近代
■登録ID125

町内には終戦後しばらく使用されていた火葬場跡が現在も3か所存在している。いつ頃できたかは定かでないが明治初年頃ではないかといわれている。
第1の場所は、西与賀公民館より北方約300mの所で本庄江湖沿いの堤防の下にある。作りは切石を積み重ねた駒形をした簡素な構造である。内部をのぞいて見ると棺を置くために長さ1m50cm程の切石を並列し、その下に鉄棒(ロストル)数本を並べ下に空気の流通を良くするために穴を開けている。燃料は主に火持ちの良いからすみを使用していた。ここを利用した部落は相応、今津、厘外の一部であった。
第2の場所は丸目橋より南へ約200mの本庄江湖沿いにあり周囲の堤防にははぜの木が植栽され集落を遠ざけるような場所である。全体の型や、内部構造は相応と全く同じである。利用した部落は丸目と戊申搦である。
第3の場所は東与賀町を境とする元相応にある。農業倉庫より南方を見れば一見風変りな建物が目につく、これが火葬場である。屋根はトンガリ帽子のようで材料はすべて赤煉瓦を使っており異風的な感じさえ与える。
これらの火葬場は現在全く使用されておらず昔日の姿を今に残している。

出典:西与賀の歴史とその周辺p13

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