円光寺

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■所在地佐賀市東与賀町大字下古賀1584番地
■年代近世
■登録ID1223

【名称(山号)】普照山 円光寺
【宗派】浄土真宗本願寺派
【本寺】京都府西本願寺
【創立年代】天正8年(1580)に西本願寺より寺号授かる。第106代正親町天皇の頃である。
【開基】内田紀伊の末孫、内田四郎左衛門が出家し流教と称した。寛永元年(1624)開基。
【沿革】(『円光寺建立之年記』による)
内田四郎左衛門は道免より別れて初めは下古賀(現在の鍛冶屋-秀島氏宅西側)に居住し田地も7・8町歩に達したが、大雨水害のため家産をなくしたため、下古賀のうち船津南(現在の今町の現地)に出家し、寛永元年(1624)寺院を建て流教と称して開基した。これが現在の円光寺である。
過去帳書き初め−寛文12子年(1672)本尊−阿弥陀如来、現在の本堂は明治24年第12代住職五十嵐卓道によって建立された。
開基の流教は、布教はもちろん治水事業にも力を入れ、現在も本寺の南方約500mの所に「左衛門井樋」が残っている。この井樋は流教(左衛門と号した)が構築したもので、昭和28年の佐賀県を襲った集中豪雨と大水害の際にも非常に役立った。この近郊の村民は、「シャーモン井樋」の愛称で呼び、その遺徳を偲んでいる。従来その井樋の直ぐ側に、記念碑(四角で高さ60cm)を建てていたが、今回の圃場整備の際に心なくも無雑作に撤去され、せっかくの功績も跡なく消失して誠に残念である。
山門側の鐘楼には、戦前まで梵鐘がつるされてあって、朝夕には毎日時刻を告げていたが、昭和18年の戦時中に供出され今日では鐘楼だけが残っており、寂寥を禁じ得ない。
【その他特記事項】
本寺院の周囲は堀に囲まれた「城づくり」になっている事が特徴で有名である。現在の庫裡は、住職第14代五十嵐貫雄の時、昭和45年11月に新築された。
客僧室の地下には、先祖からの鎧・かぶと等が埋蔵されているとの伝承がある。
檀徒戸数137戸

出典:東与賀町史p1136

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