秀島 道法

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秀島 道法

■所在地佐賀市東与賀町
■年代現代
■登録ID1198

明治43年長崎県壱岐の安国寺の次男として誕生、雄志を抱いて日本大学に学び昭和9年政治学科を卒業し、直ちに東邦電力の本社に入社した。その後縁あって昭和12年、東与賀村住吉の秀島家の養子となり、晴れてトキと結婚をなしこの家を永住の地とした。その頃より戦雲は急をつげ、昭和13年遂に応召して中支の戦線を転戦したのである。
復員後は長い間九電佐賀支店に勤務したが、その間ジャバ島の九電支店に長期出向を命ぜられ、引揚後も神埼九電の支店長等を歴任した。氏は頭脳鋭敏・豪放磊落で、しかも気骨に富み人情に厚く、特に天性の雄弁とユーモアは地域住民の信望を集め、昭和26年4月には41歳の若さで見事に佐賀県会議員に初当選した。以来1期4か年間その識見と雄弁を大いに発揮され、生涯における最良の時代であった。
併し昭和28年本県を襲った集中豪雨は水浸し1週間に及び、東与賀村をはじめ県内各地を舟艇に乗って災害箇所の巡視・食糧の補給・復旧対策等に奔走した。また県議会では佐賀郡南部地区における不完全道路の改修や産業道路の開拓を訴えたり、干拓地の電燈導入を叫んでその実現を見事に果たした。特に東与賀村の飲料水や風呂水がいかに不衛生な事をユーモアたっぷりで説明し、遂に政府の補助金を貰い受け、水道施設の着工実現を見たことは本町民としても忘れられない快挙である。
昭和41年5月、東与賀漁業協同組合長に選ばれ、その発展に活躍した。併し激務のためか不慮の病魔に襲われ、最愛の妻トキの手厚い看病もかなわず、遂に昭和43年3月6日、59歳の若さで永眠した。

出典:東与賀町史p1260