袋 正美

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袋 正美

■所在地佐賀市東与賀町
■年代近代
■登録ID1188

袋正美は父武辰(たけとき)母チョウの長男として、明治19年9月4日立野に誕生する。
明治43年佐賀中学校を卒業後、新北、西川副、日新、本庄の各小学校を歴任、軽快な運動神経とファイトに満ちた彼は桜井式体操をよくし指導的役割を果たした。やがて抜擢され県立折尾高等女学校の体育教員を拝命した。しかし父の死亡のため帰郷し再び嘉瀬小学校教員を勤めたが、先輩同僚に惜しまれながら教職を去り、昭和2年、第3代佐賀郡市畜産組合長に就任した。
厳父の実家は倉永家で佐賀藩の馬術指南役の家柄であり、天性の馬好きであって、また組合員の懇望にこたえざるを得なかった。そこで、優良馬の生産・育成に力を注ぎ、春秋に催す競馬会の運営にその手腕を発揮した。昭和3年6月15日、地方競馬規則が改正されて、常設競馬場が指定されることになった。そこで、神野町西神野に面積3町5反歩(3.5ヘクタール)の佐賀大競馬場を建設すべく、八方奔走し幾多の苦闘を越え、昭和4年5月に完工した。第1回優勝競馬大会はその月の17・19・20日の三日間に亘り、大々的に挙行された。出場馬百数十頭、馬券売上げ高は実に13万円を越す望外の好成績のスタートをきった。当時発刊された佐賀県大観の写真集には彼の偉業と競馬場等の写真が大きく掲載されている。
その後昭和8年に乳牛の導入を図り、自ら飼育して、昭和12年、東与賀農乳組合を設立し組合長をつとめ、水田酪農の基盤を確立して、他町村まで普及につとめている。昭和34年12月第11回九州各県連合畜産共進会に県代表として自分の乳牛を出陳している。またこの折馬匹改良と酪農振興に寄与した功が認められ、共進会長表彰の栄誉を受けた。
後年は東与賀村会議員を2期つとめ当町の発展に尽した。昭和39年4月1日逝去、79歳の清廉潔白ひたむきな生涯を閉じた。

出典:東与賀町史p1248