大授

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■所在地佐賀市東与賀町大授
■登録ID1166

大授は東与賀町での最南端に位置を占め、世帯が、堤防沿いに東西に長く広がっている。昭和の初期の入植当時は、ほとんどが農業を営んでいたが、半世紀を過ぎた今日では職業も多様化して、漁業・大工・公務員等種々である。
この大授の村落を抱擁する大授搦は、東西1.560間・南北650間、面積は実に300余町歩の茫洋たる一大干拓である。大正15年に工を起こし昭和9年に竣工するまで9か年の歳月を要したが、この干拓企業組合設立代表者は、当時の村長山田八郎外17名となっている。この人たちの献身的な努力によって佐賀県はもとより全国でも有数のこの大授搦が完成したのであるが、その生みの親は何としても当時作土井に在住した故原作一翁であり、翁がただ一介の農夫でありながらこの破天荒の大事業を見事に貫徹したのであった。この原作一翁の卓見と気魂とは、大授搦のある限りそして東与賀の存する限り忘れることのできない大恩人である。
大授という村落の名称は、大搦(おおがらみ)の大と授産社搦の授の上についた頭文字をとって「大授」と名づけたとのことである。この大授の守護神としては、第一区には天照大神を昭和13年に、第二区では龍王さんを昭和8、9年の頃に祀り今日に至っている。そのお祭りは毎年4月20日と10月20日の2回でいずれも幟(のぼり)を立て戸主全員が集まり神酒を飲み供饌を食べて、五穀豊饒を感謝するのである。
大正15年5月10日干拓の起工式が、東与賀小学校講堂で盛大に開催された。

出典:東与賀町史P1226