潮音寺の跡

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潮音寺の跡

■所在地佐賀市東与賀町鍛冶屋
■登録ID1106

鍛冶屋の北西端に、昔の古刹(こさつ)潮音寺の跡がある。『九州治乱記』によると天文2年(1533)に龍造寺隆信が、若宮八幡宮(上町)の神宣によって、飯盛城(本庄町上飯盛)の高木鑑房を攻略した時の陣所跡である。『佐賀県史』には次のような記録がある。
「佐嘉郡実久村 海雲山 潮音寺
一、當寺儀は元来慶誾寺末寺に有之候処年来及大破候得共余多く末寺にて本寺よりも修復等不及に候に付従高傅寺修復等相加置候間高傅寺末寺に被仰付度く高傅寺へ従慶誾寺相願候処被達御年に天明七年末七月願之通被仰付候事」
なお、この潮音寺に所属する田屋敷は3反9畝24歩、地米も2石7斗3升4合と記録されてあるので、全盛の頃は相当に大きい寺院であったことが想像され、現在も「万部経」が秘蔵されている。こうして昔を誇った潮音寺も、戦後の農地解放によって、免田もすべては小作人に渡り、現在では一宇の御堂と数十基の墓地のみが淋しく残されている。実に人の世は諸行無常、色移り香も失せて滔々と鳴りし潮の音も、既に跡絶えて聞こうにも聞けない今日この頃である。

出典:東与賀町史P1162