青藍校跡

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■所在地佐賀市嘉瀬町青藍
■登録ID10

青藍団地は1960年(昭和35年)8月より入居が始まり、分譲・県営・市営の住宅が91戸あるが、この地は、嘉瀬尋常高等小学校のち嘉瀬中学校の跡地である。敷地は鵜川徳次郎氏寄贈。団地に入り、すぐ左側に学校跡として記念塔が建てられている。

出典:嘉瀬町の見どころ22選(P.7)

教育令によると、小学校は満六歳より十四歳までの八ヶ年を学齢とするが、四ヶ年まで短縮できるものとする。それで尋常科に四年間だけ就学して学校を止める者が多く、高等小学校への進学者が減少し、一ヶ町村単独では学校の維持管理が困難な状態になっていた。そこで明治二十五年(1892)嘉瀬村・久保田村・鍋島村の三ヶ村が組合をつくり三ヶ村合併の青藍高等小学校を創設したのである。
 「青藍」という名前は、中国の荀子勧学の一節「学不可以己。青取之於藍、而青於藍、氷水為之、而寒於水」(学は以って己(や)むべからず。青は之を藍より取りて藍よりも青く、氷は水之をつくりて水よりもつめたし)からとったもので、勉強をすれば人間は更に高度の領域に達することができるという意味で、学問の重要性を説いたものである。
 青藍高等小学校では、読み・書き・ソロバンばかりでなく礼儀・勤労・規律・公徳を重んじ、すばらしい成果を挙げ明治四十一年(1908)には、全国優良小学校として文部大臣表彰を受けている。青藍高等小学校は明治二十五年(1892)から二十年間続いた。
(中略)
 明治四十五年(1912)三月、青藍高等小学校は二十年間続いた歴史を閉じ、その後嘉瀬尋常小学校と青藍高等小学校が合併して、嘉瀬尋常高等小学校となった。

出典:嘉瀬町史

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