検索結果 RESULT
- 旧佐賀市
- 検索結果
[旧佐賀市][勧興校区]は149件登録されています。
旧佐賀市 勧興校区
-
二本松橋
唐人神社西側にある橋で架設は、昭和10年とかなり古い橋。 昭和9年には、成章中学校の「校南橋」なども建設されていて全体的な造りも同じような感じ。
-
かわず橋
「かわずばし」とおもしろい名前で小さな橋ですが、しっかりと親柱がある。 架設も昭和31年と50年近く経つ古い橋。
-
太平橋
どんどんどんの森東の天神通りに架かる橋。
-
琵琶橋
愛敬町・国相寺南にかかる橋である。 水路や堀に囲まれたこの付近の地形が「琵琶」の形をしていたと言われる。 残念ながら、親柱の文字は消えかかっている。
-
みかえり橋
同じく夕日町水路にかかる「みかえり橋」である。 ここより少し、東の大財通り四つ角にこんもり雑木が茂っている所がかつて、処刑場跡であった事に由来する名といわれている。
-
極楽橋
愛敬町の夕日町水路にかかる、その名も「極楽橋」。
-
護國神社・太鼓橋
佐賀縣護國神社の境内に渡る太鼓橋である。 以前はこの橋の下で泳ぐ子ども達も大勢いたが、いまでは少し下流の川遊び場が設けられ一般開放されている。
-
格子戸の家
長崎街道筋には、昔懐かしい格子戸の家がある。
-
三角(みすみ)橋
昭和35年(1950)架橋。 「開運橋」の次に多布施川にかかる橋である。 多布施川水系が、ここから二手に裏十間川と大覚寺水路に分かれる。 この地点で水路が三角になるためにこう呼ばれたもの思われる。 コンクリート構造の親柱は、「六反田橋」に似ている。 架設年代も近く、当時の設計も類似しているのであろう。
-
土蔵の家
十間堀川・鈴蘭橋のたもとに土蔵造りの家があり、何とも言えない趣きがある。
-
くすのさかえ橋
県庁前の北堀を一気に渡る「くすのさかえ橋」。 建設の為に、お堀の大楠が移植された。
-
佐嘉神社
昭和8年(1933)、佐賀藩10代藩主・鍋島直正(閑叟)を祭神に、松原神社に隣接して造営された。直正の御霊は、松原神社から遷座され、社格が別格官幣社であった。昭和23年(1948)、11代藩主・直大も合祀された。境内には、カノン砲、アームストロング砲の模型が展示されている。毎年春・秋4月10日、10月10日の夜から11日、12日にかけ日峯さんとあわせてのお祭りで賑う。
-
松原神社
安永元年(1772)、佐賀藩8代藩主・鍋島治茂が、藩政改革を始める前に藩祖・直茂を祭神とする社を建立し、直茂の戒名・日峯宗智大居士から「日峯社」と称した。文化14年(1817)、直茂の祖父・清久、同室・彦鶴を合祀し、「松原神社」と改称された。その後、龍造寺隆信、政家、髙房、初代藩主・勝茂、10代藩主・直正、11代藩主・直大も合祀された。直正は昭和8年(1933)、直大は昭和23年(1948)に、佐嘉神社に祀られるようになった。神門に木造河童像が掲げられていた。毎年春・秋の4月10日、10月10日の夜から11日、12日にかけて、日峯さんと呼ばれる祭りが開催されている。
-
東魚町橋
裏十間川にかかる昭和11年架設の古い橋である。 藩政時代、魚屋はここ東魚町と西魚町以外は禁制であった。
-
佐賀市立成章中学校
昭和10年(1935)、一年半の歳月と多くの人手により当時の木造としては佐賀県下でも大型の箱型校舎が完成した。周囲は、まだ水田が多かったがそのためにこの巨大な校舎は遠く離れた鍋島からも見えたと言われている。玄関正面には「奉安殿」の社も建っているのが分かる。 昭和62年(1987)には、成章中学校は開校40周年を迎えた。
-
中央大通り
佐賀市の中央を南北に走る大通り。 土橋より南が開通したのは昭和40年8月で、この時、成章中学校のブラスバンドと勧興小学校の金管バンドもパレードに参加した。
-
更生橋
NTT佐賀支社の西にかかる橋で「更生橋」と意味ありげな名前である。 昭和の初期、近くに裁判所がありそこへ通ずる橋なのでこの名になったのかもしれないが、記録が定かではない。
-
校西橋
その名の通り、成章中学校の西門にかかる橋。 校南橋と同じ、昭和9年の建造。
-
校南橋
成章中学校の南の十間堀川にかかる橋で、昭和9年竣工の古いもの。 りっぱな親柱と強固な欄干が特徴的である。
-
すずらん通り
「鈴蘭橋」を奥へ入ると「すずらん通り」で、夕方になると、小料理屋さんからの美味しい香りが通り一帯に広がる。
-
称念寺
佐賀市白山にある称念寺には、りっぱな赤門がある。 左右には、「阿吽の像」もある。
-
六反田橋
愛敬町の歓楽街にあって、親柱が特徴的な橋である。 1950年製でコンクリート橋の重厚感を持たせるために、このような外観を施したものと考えられる。
-
鈴蘭橋
向榮橋の次に、十間堀川にかかる橋である。 当初は、恵比須橋と呼ばれていたが、白山恵比須班の人達が力を合わせ市の補助などを受けて施工された。 この橋の奥が「すずらん通り」と呼ばれる
-
楠公通り
楠神社から西へのびる通りで、その名も「楠公(なんこう)通り」と言う。 正面突き当たりに、「楠神社」がある。 子供の頃、勧興小学校の南にあるので「南興(なんこう)通り」と思っていた。
-
向榮橋
昔は、「土橋(どばし)」という名で呼ばれていた。 江戸時代には、お城下と唐人町を分ける十間堀川にかかる数少ない橋のひとつであった。
-
松園橋
「松園橋」は、その名の通り、松原とその北側にあった「銅像園」をつなぐ橋。 大正12年11月10日、鍋島直正公銅像の除幕式があり、その日の内にこの橋の竣工式と渡り初めが行われた。
-
松原橋
県庁通りと中央通りにふたつの橋がかかるが、両方とも「松原橋」となっている。 中央通りの方は、佐賀市のメインストリートの橋という事もあり、欄干の素材や親柱の看板名共にとてもきれいな石造り。
-
太鼓橋
松原神社東正面の太鼓橋。 松原神社は、藩祖・鍋島直茂を祀るため、8代藩主・鍋島治茂が、安永元年(1772)に創設した。社前の石橋も同年5月15日に完成している。
-
楽天橋
この橋を渡ると向こうには何があるのかと、期待するという。 眼鏡橋、橋の南は飲食店の歓楽街。
-
三百紀(みほき)橋
松原神社西北、飲み屋街東入口。 橋が改造されて「みほきはし」と刻んだ親柱が南から北の道端に移された。西南にある親柱「藩祖三百年祭記念工人」とある。