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「建造物」「循誘校区」「学校」は3件登録されています。

  • 百二十年を迎える循誘小学校

     循誘小学校の誕生は、明治8年教正小学校という名前で紺屋町に創立されたのが始まりで、明治17年循誘公民館西隣りの長徳寺南側に当時の予算3,000円で柳町校舎が建設され、明治19年1月21日移転して開校された。学校敷地は、当時思案橋で酒造業をしていた下村辰右衛門(後に国会議員となった)が寄付したものであり、また、佐賀市仲仕組所が500円を寄付した。循誘小学校百周年記念事業が、昭和50年に盛大に実施されたがその記念...

  • 佐賀龍谷学園発祥の地−願正寺

    西本願寺の第21代、明如門主は真宗教学の振興、青少年の育成のために、新しい学校制度を促進した。その一環として佐賀でも県内の真宗寺院が協同して、明治11年4月に、願正寺内で小教校が発足した。はじめは振風教校と名付けられたが、西肥仏教中学となり、さらに第五仏教中学に改められた。生徒数が増え、校舎が足らなくなったので、明治36年に、現在の水ヶ江の地に移転した。その後明治41年4月からは私立龍谷中学校として新た...

  • 行学塾

     材木1丁目の本経寺の山門に「行学塾」という木片がかかっていた。塾の経営者は住職の籾井恵学、対象は旧制中学生で塾生は10名前後であった。  英語の教え方は独特で、先ず前回出された宿題のテストから始まった。従って宿題をなまけるとついていけない。また英文法などは「名代動形副前接感」などとお経式で教えられた。  行学塾の名の通り躾面でも厳しく、勉強中は座り机に正座、玄関の履物も「地震や火事の時はだしで飛...

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