検索結果

「東与賀町」「物語・いわれ」「地名・とおり名」は22件登録されています。

  • 立野

    立野は東与賀町では東北の端に位置し、東は八田江を隔てて川副町に、北は本庄町に境をしている。貞享年中(1687)の郷村一覧には、立野村の小字に「新ヶ江」が記載されているので、少なくとも400年前にこの村はできていたであろうと思われる。「立野」という村落名はどうして生まれたかは明瞭でないが、山口恵一郎の『地名を考える』の説によると「湿性」を表す語として、「野」や「沼」が極めて多いとのことである。この村落も湿...

  • 鍛冶屋

    鍛冶屋の北部は本庄町鹿の子と境をし、東部を実久に西部は上古賀に近接している。 鍛冶屋という地名は、その昔この地区は鍛冶職の人が多かったので、そのままずばり「鍛冶屋」と命名されたものである。一番の最盛期の明治元年の頃は、この村落は40戸余りもある大村落で住民のほとんどが鍛冶業を営んでいたらしい。その鍛冶といっても刀剣類や農器具ではなく、主として家の建築や船舶の製造に必要な和釘(当時は家釘とか舟釘とも...

  • 船津

    船津は東与賀町で一番東北部に位置し、東は八田江を隔てて川副町西船津に相対し、北は立野に西は上町、南は今町に接している。言わばこの船津は八田江によって昔から産業上・交通上・生活上の便益や恩恵を受けて次第に繁栄し発展したものである。 この八田江は川副郷と与賀郷の境を南へ流れ、八丁井樋で有明海に流れ込んでいる。昭和17年佐賀江の枝吉樋門が完成して悪水を排出するようになったが、以前は大崎川の末端の本庄町西...

  • 上町

    上町については貞享4年(1687)の郷村一覧に、実久村の中に「上町」の字名が出ている。したがってこの頃には既に村落としての形態ができていたのである。昔は小高い島であって、その周囲や真ん中辺りに縦堀や横堀が幾筋も流れていた。今日なお「島の内」とか「島の中」等の地名が残っているのはその事を証明している。やはり人間の生活上この堀が必要で、この邑の住宅のほとんどが堀岸にあったり堀を裏側に持っている。そしてこの...

  • 下古賀

    下古賀は上古賀の直ぐ南部に位置し、東は上町に西は田中に相近接している。昔から下古賀と上古賀および田中とは関係が深く、この三村に姻戚関係も多いことから、村の成立も相前後してできたのではないか。上古賀八幡神社の境内にある太神宮碑の側面に、蒲原治兵衛・徳久善蔵・徳久源之允等下古賀在住の姓名が刻まれてあるがその事情が推測される。その事は郷村帳にも「田中村の上古賀からの移住によってできた干拓村と見られる...

  • 今町

    今町は東与賀町の東部を流れる八田江に沿って栄えた町で、東は川を隔てて川副町広江と相対し、北は船津に南は梅田に隣接している。東与賀町内で町の名があるのはこの今町と上町であるが、昭和10年頃の職業別を見ると、漁業が圧倒的に多かった。これが現在の職業別と相対して如何に変化したか、約50年間に戸数も随分増加しておりその推移進展の姿が明瞭である。 この今町には村落としての成立や地形それに各家の職業の上から、お...

  • 中割

    中割は南北に流れる堀割りを境界として作出の東部に隣接しているが、行政上中割は大字下古賀に、作出は大字田中に分けられている。地名辞典によると「中割」というのは干拓や耕地整理の際の区切りのことで、「中切り」とか「中割り」という言葉からの名称である。こうして二つに区割りされた村落であるが、中割と作出は昔から密接な関連を持ち協同大和の精神で年々と繁栄している。 大正初年頃の本村の郷土調査では、大字下古賀...

  • 搦は東与賀町の南東部に位置した大村落で、その東側には八田江湖が滔々と流れて川副町と相対し、北側は梅田に隣接している。梅田はこの搦とは因縁が深く、昭和25年の頃まで「搦北」の名称で呼んでいたが、同34年1月よりここから分離独立したものである。古老の話ではこの搦は昔全戸が漁業を営んだが、次第に農業もやるようになり今では半農半漁の家が大部分である。 搦は一名を大搦とも言い、明治4年に田80町歩の新地開拓と共に...

  • 梅田

    梅田は昭和12年から15年の頃まで戸数僅かに4・5軒に過ぎず、家屋の位置によって搦北・中割・今町の各字別に所属していた。終戦後は外地からの引揚者や今町その他の村からこの土地に移住して来た。かくて昭和25年の頃は、「搦北」の名称となり戸数も20戸から30戸近くに増加した。昭和34年1月、当時の村長故碇壮次の頃「搦北」を改称して、新しい「梅田」という字の命名式と共に、新築成った公民館で盛大な竣工式が挙行された。こ...

  • 梅田誕生祝賀式

    昭和34年1月吉日新村の誕生を祝って、盛大な祝賀式を開催した。時あたかも新春を迎えて間もなく、初潮の満ち来る八田江には大漁の幟を押し立てた幾十艘の入船が朝陽に輝いていた。新装成った晴れの公民館には、万国旗のはためく中、参議院議員福岡日出麿をはじめ村内外の来賓や梅田の大人も子どもも相集りて、豪華な公民館の新落成を祝い、梅田村誕生という華やかな式典であった。その時の記念に当時の村長碇壮次は「和気満堂」...

前の10件1 | 23....[最後]
総合検索
サイト内検索

ご利用案内
comodo ssl