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「東与賀町」「人物」「人物」は21件登録されています。

  • 辻 演年

    辻演年は文政2年(1819)東与賀村住吉の鍋島藩士の家に生まれ、またの名を忠六と称した。 のち川副代官所の勘定頭など勤めたが、28歳で藩の搦方役人となって、犬井道地先の別段搦干拓の監督を手はじめに、大小十数か所の干拓を造成している。これまでの土塊と木材で造る工法を改め、石材を使用する等の改善が試みられている。しかし別段搦も台風で再び決壊して4年の歳月を経て嘉永4年(1851)にやっと竣工を見たので、嘉永搦と呼ば...

  • 原 作一

    原作一は慶応3年(1867)3月3日、藤蔵・とめの長男として作出に誕生した。当時原家では水田3ヘクタールを自作していたが、他の農家は1ヘクタール程度の小経営が多く、米麦依存の営農で生産はあがらず、その価額も不安定のために農民の生活は貧困にあえいでいた。特に大正10年頃は電気灌漑の導入による余剰力の問題と、二・三男の分家による経営農地の零細化問題で、どうしても農家の経営する耕地を拡大せねばならぬという、つまり...

  • 野田 甚三郎

    村立尋常興文小学校の初代校長野田甚三郎は、佐賀市蓮池町の某家より住吉区野田サダの婿養子となり、野田家を受け継いだ。子宝に恵まれて徹・常雄・春吉・良方・由子・達雄等5男1女の父親となった。彼の性格は温厚篤実で真面目、優しさといたわりの温情味が溢れていた。身体も至って強健で大柄ではないが、ずんぐり型病気知らずの健康体の持主であった。つるつるに禿げた頭・丸やかな顔の中に八の字の濃い髭があったが、いつも...

  • 木下 文次

    木下文次は明治8年1月3日、木下善次(東与賀村2代助役)の長男として、東与賀町上町に生まれた。幼少の頃から学を好み、子守りしながら妙福寺の高木塾に通った。与賀高等小学校2年から佐賀中学校へと進み、陸軍士官学校は恩賜の銀時計組の英才である。日露戦役に従軍し敵弾の飛びくる第一線で泰然自若として、指揮をとった。部下はその豪胆さにただただ驚嘆した。かくて連勝したが遼陽合戦で不幸にも敵弾を負い第一戦を離れた。...

  • 三浦 虎次郎

    三浦虎次郎は明治8年12月、父愛吉母スエの長男として、上古賀に産声をあげた。出生時の住宅は現在の公民館の西側で、母屋の外に白壁の倉庫を持ち、水田2町歩を耕作するという大百姓であった。彼は生まれつき体も大きく腕っぷしが強く負けん気が人一倍で、村内切っての餓鬼大将として「鬼虎」の愛称で呼ばれていた。しかも友情に厚く同僚や部下を可愛がり、強い者には立向うが弱い者を助けるという義侠心にも富んでいた。 明治25...

  • 山田 八郎

    明治11年1月29日山田清八・ワキの長男坊として、中割に産声をあげた。陸軍要塞砲兵射撃学校を卒業したが、除隊後の大正5年11月には本村の助役に就任し2期を勤めた。その直後森川仁四郎村長の後を受けて、大正13年10月第9代村長の座につき、自来5期20年の長きにわたって、本村の政治・産業・教育等の進展向上に一身を捧げた。 彼は勤勉誠実・元気潑剌で、竹を割ったような気性と誰にも負けぬという気魄を持っていた。頭脳も極め...

  • 嘉村 達次郎

    明治12年11月6日、父卯七母トメの長男として下飯盛に誕生した。軍人を志望して陸軍士官学校へ進学し、同35年には歩兵少尉歩兵第二十四連隊に配属され、同44年には大尉に進級し熊本陸軍幼年学校の生徒監となった。大正11年には仙台の陸軍幼年学校長に補せられ、同13年金沢連隊区司令官、昭和5年8月には早くも少将歩兵第三十九旅団長(朝鮮平壌)に昇進した。 この頃奉天の柳条溝で満洲鉄道の爆破事件が発生し、日中両国軍が衝突...

  • 古賀 明之助

    古賀明之助は明治13年10月30日、古賀政房(通称秀一郎)の長男として、東与賀村大野に生をうけた。佐賀中学校に進学してのち、福沢諭吉先生を私淑して慶応義塾へ進んでいる。 彼は陸軍工兵曹長として、日露戦役に出征し戦功をたて勲七等に叙せられた。その後農業のかたわら公共事業に奔走し、東与賀村在郷軍人分会長となり、また所得税調査員に当選すること4回、相続税審査員任命2回、土地賃貸価格調査員等をつとめている。当時...

  • 富吉 景行

    富吉景行は幼名を「弥六」といい明治15年2月下飯盛に生まれた。医業を志して同39年長崎医学専門学校に入学した。卒業後は東京の田村病院で研修を積み、同42年下飯盛に診療所「十全堂医院」を創設して開業した。以来30数年間を郷土民や学童等の仁術医師として、患者の治療・接種・点眼等の医務に専念した。その間村民の要望に応えて村会議員3期を勤め、更に昭和4年には佐賀県会議員に見事当選して、本県医療行政と厚生事業にも貢...

  • 増田 嘉一

    増田嘉一は東与賀町大字下古賀(立野)増田善六の三男として明治15年11月18日生まれである。 本庄小学校を卒業後17歳にして海軍に少年志願し入隊する。更に海軍水雷学校を卒業し、主として「野分」等の駆逐艦勤務を主としていたが、軍艦出雲に乗艦しアメリカへ航海し見聞を広めている。そして海軍時代に旧制中学校程度の英数や簿記等については独学して修得し、広汎な学力を身につけていた。明治37、8年戦役や第1次世界大戦に参...

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