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「東与賀町」「産業」「農業」は4件登録されています。

  • 農具

    荒田犂(すき)、押しがんづめ、千歯(せんば)、代掻馬鍬(しろかきまぐわ)、その他 東与賀公民館には農家より寄付された農具が展示されている。

  • 鍛冶屋の牛蒡(ごぼう)・桑畑

    鍛冶業が営まれていた頃、鍛冶屋の畑地に牛蒡を広く栽培していた。この地区で生産した牛蒡は他に比べて甘味があり柔らかくて大好評であった。これは鍛冶屋さんが捨てた鉄くずや石炭がらが土壌の成分を良くし牛蒡によい地味となったものと思われる。その当時「鍛冶屋のごぼう」といって評判がよく高く商品化され値段もよかったとの記録がある。今日でも古老の井原保美は「あの鍛冶屋ごぼうの味は舌に残って忘れられない」としき...

  • お蔵

    「お蔵」は穀倉のことで、昔上納米を貯蔵したりここから船で運んだ所であるが、船津の「お蔵」は龍造寺隆信公の頃、鷹や鴨狩りの跡とも言われている。現在の古川氏宅の西側がその地所であるらしい。即ち米・麦をはじめ肥料や粉炭等を積んだ船舶や木材をいかだにして、この「お蔵」近くまで運んで来ていた。そのためにこの船津は昔より家業の職種が非常に多かった。まず、人が集まると酒類であるが、酒屋は故大石平次(酒倉が4棟...

  • 大授の農業

    干拓が完成して大授搦ができたが、真直ぐに水稲を栽培することはできなかった。2、3年から4、5年間は綿(わた)作りから始めた。この綿花は毎年八十八夜前後に種子を蒔き、夏休みの頃は早くも収穫するのである。手ぼに綿を一ぱい盛って帰り、家の中では、寝床にも座敷にも広げて乾燥したことが思い出される。 その綿花作りの後2年から3年間は、西瓜作りであった。その頃第二区に掛け小屋を作り精一ぱい努力した。幸いにも干拓は...

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