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「三瀬村」「建造物」「地蔵・銅像・石塔」は8件登録されています。

  • 聾(つんぼ)なおし地蔵※歴史的固有名詞であるためそのまま使用しています

    佐賀県佐賀市北の最果て、三瀬峠の絶頂(標高583m)、道路の西側に大きな石の碑が建てられている。この碑は1柱の碑に見えるが、よく見ると、幅約40cm・高さ2m余の角柱を2本密着させてある。  北側(右)の碑には    正面に、從是北筑前国    北面に、怡土郡飯場村抱    裏面に、文化十五年戊寅四月  南側(左)の碑には    正面に、從是南肥前国    南面に、神埼郡三瀬山村    裏面に、文化十五戊寅歳四月...

  • 疣(いぼ)なおし地蔵

    疣なおし地蔵は平松地区と池田地区にまつられている。  疣という語は飯粒(いひぼ)の転じたものといわれ、皮膚にできる丸い小突起物のことである。一種の皮膚病で、現今ではハトムギを煎じて飲んだリ、薬をつけたりして、簡単になおすことができるが、治療薬の発見されていなかった昔は、1つできると次々に数がふえ、なかなか根治しにくい頑固な出来物であったので、痛みはないが気味の悪い厄介な皮膚病とされていた。  むか...

  • 向合い観音

    向合い観音は、国道263号線の南の村はずれ、大和町との境の向合い峠にまつられている。この峠の道は、むかし、奥山内(三瀬村)から佐賀方面へ出入りする旅客の主要な往来とされ、北の出入口三瀬峠とともに旅客難塗と形容されていた。長雨・日照り・降雪の時季には旅客が難渋する道であったからである。旧道はいまの国道よりも高めのところを通っていたので、観世音は路面からあまり高くない位置の西側木陰に東を向いて座してい...

  • 地蔵堂 (脚気地蔵)

    一、本尊 地蔵菩薩 一、由緒 室町時代の明徳4年(1393)に創祀された地蔵尊である。  縁起書によれば、文永元年(1264)野田周防守清秀が当国に下向し、杉屋敷に露営ののち、改めて山中の地に宿館を構えて城主となり、同年9月三瀬山を掌領した。嫡男野田次郎大江房儀は当山中の地を去って宿に館を移し、河内峰の嶮に城郭を築いた。 その子野田三郎大江家房は、長谷山観音禪寺の宗師として禅門に入り、明徳4年に宗祖の霊位の...

  • 洞鳴山妙仙観音

    延宝9年(1681)3月12日 この事は別章に詳しく悲恋物語としてのせている。 本願 中野仁右ヱ門・芹田弥右ヱ門・高島又左ヱ門・高島徳石ヱ門・徳川織右ヱ門・広滝六太夫・同妙正古川五兵衛重治・土師村・七間谷村・落屋敷村女人講中

  • 妙日庵

     詰の瀬にあったが寺趾について知る人はない。今日釈迦堂と呼ばれている石仏2体のある場所ではないかといわれている。台宗末寺であったがみるかげもない。1体の石仏は釈迦の立像、もう1体は地蔵菩薩の坐像であるが首がなし、時々かけられる子供の「よだれすけ」が無情に淋しい。  或いは観音堂(年時不詳・本尊観世音)が妙日庵ではなかったかという人もあって定かでない。

  • 馬頭観世音

    文政6年(1823)6月11日、施主、久保山住人副島吉左ヱ門三瀬峠の俗に「聾なおし地蔵」のそばにたてられている、唯一の馬頭観音。  向合観音さんで知られる向合峠には、佐賀にむかって右上に、施主、下杠山住人・横尾七左ヱ門になる観世音(年月不詳)が向い側の板碑にむき合っている。何の板碑かわからない。  その他薊の佐古、原宅上の観音堂、釜頭の観音、広瀬大明神境内にある観音など年時不詳で知る由もないが、神在、川...

  • 中鶴厄神

    寛文13年(1673)に創立された石祠で、扉を開けば蓮台に座して合掌した仏姿の御神体が刻まれている。  口碑によれば日本3厄神の一つであるといわれ、地域の人々から厄払いの神として崇められ、参拝者も絶えない。  毎年陰暦1月15日に厄神祭が行なわれる。珍らしい祭りである。

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