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「富士町」「物語・いわれ」「物語・四方山話」は12件登録されています。

  • 太閤石

     西畑瀬の道沿いの田んぼのなかに長さ1m、幅50cmほどの平たい石がある。腰掛けるには恰好の石である。しかし、石に腰掛けると腹が痛くなるといい、地元の人が座ることはない。豊臣秀吉が名護屋へ行くときに、当地を通り一休みされたときに座った石といい伝えられ太閤石という。千頭の馬が休んだという千駄ケ原という地名が残っている。  秀吉がこの石に腰を掛けたかどうかはわからぬが、名護屋に在陣中、母大政所の病気で伏見...

  • かっちゅうときつね

     むかし。  お宮のぎんなんの木のちょっぺんに、かっちゅうの、巣ばかけとったって。  そして、そこで玉子ば生んで温めとったぎ、その晩、きつねの来て、ぎんなんの木の下から、  「おい、こりゃあ、かっちゅう、おいに卵ばいっちょくいろ。くれんぎんと、そこまで登って来て、わがまでうち食うじゃ」て言うて、脅すもんじゃ、しかたなしいかっちゅうは、卵ばいっちょきつねにやったて。  そいぎ、そいからきつねの味くろ...

  • 勘右衛門と銭くそをたれる馬

     むかし。今ん唐津んにき、勘右衛門て言う悪知恵の働く男のおったて。勘右衛門には、よっぽいケチかおんじさんのおらしたて。そのおんじさんな、銭はどっさい持つとっくせ。いつでん我銭はいっちょでん出そうでさっさんやったて。  ある日、勘右衛門は、「どやんじゃいして、あのケチおんじいば、きゃあくいだまゃあて、銭ばとってくりゅうで思うばってんが、何じゃいよか知恵のなかろうかにゃあ」て言うて、道ばたで考えよっ...

  • 苣木のきつね狩り

     むかし、むかし、て言うても、今から百年ばかい前の話たんたあ。  苣木に、弥助さんと定さんて言う二人の猟師さんのおんさったて。  ある日、二人で山さん狩りに出かけて行きんさったばってん、思うたごたっ、物にあいつかあじ、がっかいして、家に帰ろうで支度ばしよんさったて。そん時、ひょっと向かいの山ば見た定さんが、  「おい、弥助さん」  「なんかい」  「しいっ、太か声ば出しやんな、あの石ん上ば見てござい...

  • 七兵衛と八兵衛

     むかし、むかし。  上合瀬に七兵衛、下合瀬に八兵衛て言う知恵の働く人のおんさったて。  ある日、天気のあんまい良かもんじゃ、散歩しょんさったぎ、二人が道でばったい出合いんさったて。そして、八兵衛さんの  「何じゃいおもしろい話はなかかい」 て聞きんきったぎ、七兵衛さんの  「家の裏に、たぬきの住んどっさい、その頭の上、カラスの巣ば作っとっばい」て言いんさったもんじゃ  「七兵衛、なんてしゃんか事の...

  • おかねばあさんの佐賀見物

     むかし、須田の東古賀におかねさんて言う九十五才になっ、おばあさんのおんさったて。  その、おかねばあさんな、よっぽい元気か人やったばってん、佐賀ん町いっちょは、いっぺんでん見たことのなかったて。  ある日、孫息子が、おかねばあさんに、  「ばあさん、おとんの佐賀ん町ば、いっぺんでん見たことなかて言いよったけん、今日つれて行こうだん」て言わしたぎ、  「ほんなごてや、おいば、佐賀ん町さん連れて行た...

  • 羽金山の埋蔵金

     羽金山は標高900mほどで、7合目あたりは薙刀石、畳石、戸棚石、燕石などと名付けられた巨石群がある。  寛永14年(1637)島原の乱が勃発した。筑前の福岡藩52万石も、幕府の要請を受けて、島原鎮圧のために出動をした。その途中、長野峠付近で軍用金50万両のうち10万両が消え去ったという。その後、10万両を求めて多くの人たちが探したが、どこにも見つからずいつとはなしに忘れさられてしまった。ところが享保4年(1719)2月、...

  •  ジョボッ(成仏)さん

     即身成仏をしたお坊さんの言い伝えがある。生きながら埋まり、地の底からリンの音が聞こえていた。誰かが息抜きの竹に栓をしてしまったので、いつのまにか音が聞こえなくなってしまったという。東古賀にある墓と思われるところには石祠に小さな僧形の像が納められている。伝説により明治22年に有志者により建立されたものである。日池にも同様の伝説がある。  生きたまま、悟りを開き仏になるという即身成仏の伝説は全国各地...

  • 栗並の言い伝え

     田中地区に田中右近守あり。三瀬の神代勝利より呼び出しあり、帰ってこなかった。行く前夕顔(かんぴょう)の汁を吸ってから行かれたので以来、当地ではかんぴょうを作らない。

  • 春日神社伝説

     「大野坂城、しれ石の殿さん墓」 從五位左衛門行高は、藤原鎌足の7代の子孫藤原秀郷の7代目の子孫である。源頼朝は行高が平家に属せず、源氏に忠誠を冬尽くしたので、近江国神崎郡常富庄嘉村名の地頭職に任じた。  嘉村行高から5代目の左近将監俊行は、弘安2年(1279)9月、探題千葉介宗胤が肥前に下向した時、宗胤に従って小城郡に下向して来た。そして休息所を賜り、麻那古村大野坂に城を築いてここに住んだ。それ以来子孫は...

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