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「大和町」「指定文化財」「史跡」は7件登録されています。

  • 導善寺前方後古墳

    導善寺前方後円墳は池上集落の中ほどにあり、全長60メートル、一段の前方部を西側にとり、幅20メートル、長さ23メートル、高さ1メートルを側り、後円部は2段で径38メートル、高さ4メートルを測る。築造年代は、5世紀前半と推定される。前方後円墳の発生については不明な点が多いが中央政権の成立と大きくかかわることなどから大和における古代史の謎をとく大きな鍵の一つと思われる。また前方後円墳という珍しい墓型を将来...

  • 華蔵庵跡

    寛文9年(1669)、佐賀藩2代藩主鍋島光茂による円蔵院住職村了和尚の処刑に抗議して高伝寺11世湛然和尚は筑前へ出国しようとした。光茂は国内に留まるように願い、松瀬の地に隠居寺として一宇を建立し、寺地7反余(70アール)、山林4町5反(4.5ヘクタール)を附して10石を扶持し、華蔵庵と名づけて高伝寺の末寺とした。湛然和尚は晩年をこの庵で過ごした。 「葉隠」を口述した山本常朝は、華蔵庵で延宝7年(1679)4月3日に、湛燃和尚から血脈...

  • 肥前国分寺跡

    肥前国分寺跡は佐賀市大和町大字尼寺字真島(通称、国分)にある奈良時代の寺院跡である。佐賀市街北方約5キロメートルの脊振山麓の嘉瀬川で形成された扇状地の東端に位置する。 肥前国分寺の造立年代は不詳だが、聖武天皇による国分寺・国分尼寺造立の詔は、天平13年(741)に出されており、そのころに造られたと思われる。  寺域は2町(1辺約216メートル)四方で、西辺で西門と外溝、西南隅の築地痕跡、東辺で築地と外溝、...

  • 船塚

    脊振山地南麓のゆるやかな傾斜地に築かれた県下最大の前方後円墳である。北および東西の3方を山で囲まれて前方部を南に向け、全長114メートル、後円部は径63メートル、高さ10メートル、前方部は幅62メートル、高さ9メートルで、前方部と後円部の規模がほぼ等しい。墳丘は3段に構築され、周囲に幅12~18メートルの周濠が巡っており、これらの形態は古墳中期の特色を典型的に示すものである。墳丘上には花崗岩円礫の葺石(ふきいし...

  • 大願寺廃寺跡

    佐賀市大和町大願寺地区の五社神社を中心とする一帯にあって、文献記録に登場しない奈良時代の寺院跡である。立地は山麓に近い標高約25メートルの扇状地上、肥前国庁跡から嘉瀬川を挟んで西方約2.5キロメートルの距離にある。 現存する遺構は五社神社境内に建物基壇(きだん)が残り、礎石約50個がおよそ4地区に分散している。その範囲はほぼ2町四方(約200メートル四方)であり、布目瓦(ぬのめがわら)の散布も同じ範囲であることか...

  • 小隈山古墳

    嘉瀬川の西約2.5キロメートル、脊振山系南麓の独立丘陵上に立地する。丘陵は四方が比較的急峻な斜面をなしており、古墳は丘陵頂部の西側尾根上、標高約60~65メートルの位置に、ほぼ東西方向を主軸として築かれる。ほぼ真西に前方部を向ける前方後円墳で、全体が蜜柑園造成により改変を受けているものの、墳形自体は旧状をよく保っている。 墳丘は、全長約63メートル・後円部径約25~27メートル・前方部幅30メートルと推定され...

  • 肥前国庁跡

    肥前国庁跡は佐賀市大和町の中心を流れる嘉瀬川左岸の、標高14メートルの自然堤防上に立地する。肥前国庁跡周辺には、国府関連施設と考えられる多数の掘立柱建物群が分布している。正倉群と考えられる建物群(惣座遺跡)や国司の館と想定される建物群(久池井B遺跡)、長大な基壇建物3棟で構成された官衙関連の建物群(久池井六本杉遺跡)が周辺に所在する。また嘉瀬川右岸にも官衙関連の建物群(東山田一本杉遺跡)と郷家関連と...

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