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「大和町」「物語・いわれ」「物語・四方山話」は17件登録されています。

  • 萩原長者と粟長者の伝説

     昔、萩原長者と言われる者がいた。彼は用水不足に悩み、春日谷より長堤を築いて萩原に水を引いたといわれ、現に春日より久池井地区の西方にかけ「高段土井」と称する堤防上に水路を設けた長堤がある。しばしば襲来した川上川の氾濫に備えた構造のようで、恐らく灌漑用水ではなく生活用水が目的であったと思われる。とすれば萩原の建物は単なる社寺ではなく、あるいは国庁ではなかったろうか。これらの大工事を完遂するには庶...

  • 慶誾尼と握り飯

     慶誾尼は龍造寺胤和の長女で隆信の生母であり鍋島直茂の継母である。豊臣秀吉が母の病気のため東上、ついで下向の際、名護屋の渡しを通った時のことである。慶誾尼は秀吉一行の接待のため、近所の農家から戸板を借り出し、青竹四本を立てて戸板をのせ、飯を固く握って土器に盛り、尼寺の道筋道端に出し置くように侍達に命じた。秀吉は通りがけにこれを見て「これは龍造寺が後家(慶誾尼)の働きに違いない。食料のない道筋で...

  • 川上たけると真手

     第13代景行天皇の第2皇子日本武尊は始め御名を小碓尊といっておられた。このころ筑紫(福岡県)を根拠地にして北部九州地方をおびやかしていた熊襲という豪族がいた。九州全土を征服して各地の穴ぐらに陣を張っていたが、その威勢に恐れて誰一人刃向う者がいない。そこで天皇は皇子小碓尊に熊襲征伐を命じられた。これが西紀82年12月でこれを平定するまでには凡そ6年間かかったという。小碓尊は英智と武勇にすぐれた方で、弟...

  • お不動さんと竜王池

     お不動さんで知られている水上山万寿寺の開基といわれる神子和尚が仁治3年(1242)48才のころの話である。ある日、神子和尚が竜渕室という所に端座していると、空がにわかに曇ってきて次第に暗くなり、物凄い雷鳴につれてしのつく雨が降ってきた。和尚は平然と瞑想三昧に入っていたが、一きわ烈しい音響とともに何者かが落ちてきた様子である。見ると庭先に双角鬼面(鬼の形をした)の怪物が2つうずくまっている。和尚は急い...

  • 孝行鮎

     川上川の鮎は鍋島家の御進物用であったためこの辺での川漁は御法度で川目付という役人が厳しく見張っていた。ころは幕末、名君鍋島閑叟公の御治世の時である。佐嘉城下に奇怪な事件が突発した。所もあろうに佐嘉城の大手門に朝な朝な変な貼紙がしてある。その貼紙には文字は1字もなく、天秤の両端に人と鮎とがさがっており、鮎の方に天秤が傾いているという絵だけがかいてある。「一体、何というなぞじゃろうか。天秤の鮎の方...

  • 雨乞いの竜

    竜頭函-肥前州河上-正徳六(1716)丙申二月十八日と墨書した木箱が実相院に保管されている。この箱の大きさはたて84cm、横30cm、高さ28cmで中に55cm大の竜頭が納めてある。 竜頭は竜の頭に似た木の株のようで、木目の突起がちょうどうろこに似て異相を呈している。別に45cm大の全身竜の木彫りをした竜王尊があり、これは手に珠玉をつかみ、うろこを逆立てて将に炎を吹かんとするような美事な彫刻になっている。実相...

  • 淀姫さんとなまず

     淀姫さんの氏子にはなまずを食うてはならぬという掟があり、食えば腹が痛むといわれている。その昔、川上川には魚もたくさんいたが「かなわ」といって、まむしが年を経て変化したという怪物がいた。夜更けになって官人橋を渡るとこのかなわに襲われて死んでしまうので、土地の人はこの得体の知れない怪物に恐れおののいていた。ある夜2人連れの親子が舟に乗って川魚をとり始めたが、思いもよらぬ大漁なので時のたつのも忘れて...

  • 宝塔山・書きかけの題目

     文禄元年(1592)肥後熊本城の城主加藤清正が、名護屋の秀吉の本陣へかけつけて行く途中、都渡城にさしかかった時のことである。今まで勢よく走り続けていた馬が突如膝を折って動かなくなってしまった。清正は不思議に思ってあたりを見回わすと、そばの大岩壁に「南無妙法蓮」とお題目が彫りかけてある。日蓮の信奉者である清正は「これは?」と里人に尋ねると「これは日親という坊さんの書きかけのお題目で………」と次のように...

  • 宝探し物語

     昔、春日村久池井に粟長者という長者が住んでいた。大洪水の時、米をつめたままの俵で堤防を築いたくらい豪勢なものであったが、米を粗末にした罰でもあたったのか、次第に家運が傾き没落してしまった。その長者が死ぬ間際に「リクの中に金椀千束、銀椀千束を埋めてある。掘りあてた者にくれてやる」と遺言して息を引き取ったという。さて、そのリクとは一体どこだろうか。

  • 六地蔵さん

     桃山時代以前の紀年銘のある六地蔵は町内にも幾つかある。そもそもこの地蔵菩薩の梵名は「クシチガルブハ」と言い、五濁悪世から六道の衆生を救済する能化の菩薩であると伝えられている。この六地蔵は北九州一帯に最も多く、県内にも相当数あるということだが、まだ専門的研究がなされていないのでどういうものか判明しない。久留間地区にあるのは永禄4年(1561)に村中で建てられたもので何かの御願成就のためと伝えられてい...

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