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「大和町」「神社仏閣」「神社」は25件登録されています。

  • 惣座

     国司が肥前国内の主な神社へ巡拝の繁を避けて、諸神を集め祀った所といわれる。肥前国において古来朝廷尊崇の社とされたものに、河上神社を始めとして加部島の田島神社、松浦郡の志志伎神社、三養基郡の荒穂神社、天山神社、金立神社、島原の温泉神社、平安時代後期に名を知られた武雄神社、鏡神社、千栗八幡神社等が考えられる。  全国70か国に国府が置かれ、そこに置かれた総(惣)社の名前がはっきりしているのは46社で、...

  • 印鑰社

    尼寺にある印鑰社はもともと奈良~平安時代(8世紀前半-10世紀前半頃)には肥前国府の印と鑰を保管した所である。語音はインヤクと読むが多くは他国でもインニャクと呼ばれ、この印鑰は国印と国府倉庫のかぎを意味しており、駅鈴などと共に国司が国務を執行するに当たって最も重要なものとされていたのである。平安時代の後半頃、各地で、この印と鑰が神格化し、御神体となっていった。後世になってからこの御神体として他の神...

  • 甘南比神社

    春日高城寺の東より柑橘園の中を舗装された農道が急カーブを描いて頂上近くまで登っている。頂上は僅かな平地が雑樹に覆われ、はるかに佐賀平野が展開している。ここが標高235mの甘南備山で普通、城山と呼ばれている。今では東南面は頂上付近までほとんど開墾されて柑橘園となって昔の面影は見られない。甘南備山の名は久米邦武博士によれば、この峯に国司甘南備真人浄野や子の高直のいた所であるが、それよりも古代神事にちな...

  • 河上神社

     飛鳥時代に創建された神社である。平安後期以来肥前国一ノ宮とされていることは周知のところである。祭神は与止日女神で、「肥前風土記」には石神世田姫としている。「延喜神名式」には佐嘉郡内唯一の小社と記されている。  当時の肥前国内での大社は、東松浦郡加部島の田島神社であったが、平安後期になると河上神社が肥前国の一ノ宮とあがめられるようになった。米倉二郎氏は、これは、唐津・呼子地方が大陸との交通の要点...

  • 河上神社の祭神と石神(与止日女神社)

     実相院の座主尊純が勝茂公に差出した河上社由緒差出書に、祭神は神功皇后の御妹与止日女大明神であるが、和銅6年(713)の肥前風土記の中に左の事が記してある。  『此川上有石神。名曰世田姫。海神年常逆流潜上到此神所。海底小魚多相従之。或人畏其魚者無殃  或人捕食者有死。凡此魚経二三日還而入海』この世田姫は河上社の祭神与止日女神であるともいわれる。「世田」は「淀」に通じ、川の淀みが神霊化されたのではある...

  • 河上神社の掟

     昔は河上神社の境内にはみだりに立入ることが許されなかった。嘉応2年(1170)3月10日付、 時の国府より左記の通達がきている。  一、社辺の男女並びに裸の小児が自由に社内に乱入している。敬神崇祖上けしからぬ。速に停止せよ  二、神士瀬の上より鮎返の下に至る間の殺生は昔から禁じられているにもかかわらず夜中殺生している由、犯した者は罪科に処せ  三、付近の者で宮林、神木を伐る者あり、神慮を恐れざること不当...

  • 於保天満宮

    保元元年(1156)保元の乱が起こり、京都の町は不穏の状態に陥った。於保氏の祖である藤原実遠はそのころ京都内裏北門堅衆の任(御所警備役)に就いていた。彼はこの不穏な政情を心配して、1日も早く平和が来るよう北野天満宮に祈願を続けた。後白河天皇はこれを聞かれ痛く感激されて、実遠の本国へ天満宮をまつるよう御内命になった。そこで実遠は北野の神を勧請して於保村北野の地にまつった。又天満宮を勧請すると共に菩提寺...

  • 兵動氏と兵動八幡宮

    室町時代から近世にかけ旧川上村佐保に豪族がいた。 遠い先祖は藤原鎌足の流れを汲む藤原氏で、始め藤原姓を名乗っていたが正光の時から兵動姓になっている。正光の先祖に兵藤正経という者がいた。寛治元年(1087)11月14日、八幡太郎義家、新羅三郎義光兄弟が清原家衡、武衡を金沢柵(秋田県仙北部金沢町)に包囲し攻め落した。義家が飛ぶ雁の列が乱れるのを見て敵の伏兵を知り、危いところを免かれた話もこの時の事である。世...

  • 河上社造営

     応仁の乱(1467年以来11年間、京都を中心に続いた戦乱で京都は焼野が原となった)以来河上社の御神体は仮殿に奉納したまま荒れるに任せ雨もりさえなおす人はいなかった。  肥前国賀世庄(今の嘉瀬町か)に蓮乗院増純という僧がいた。この僧は後に元亀3年(1572)実相院35世として、元亀戦火後実相院再興に活躍した座主である。河上社の荒廃を嘆き一念発起してその復興に寝食を忘れ活躍した。永禄の年(1558〜1570)増純は仮...

  • 延喜社

     祭神は延喜大王である。延喜大王は宇多天皇の第2皇子で斉世親王と称し、妻は菅原道真の娘である。昌泰4年(901)九州の太宰府に左遷され、延喜2年(903)配所で没した道真の不遇を悲しみ、自らも剃髪して仏門に入り九州に下向してこの地に来たり行鎮寺を建立した。ここで病死した延喜大王を後世の人が神として祀ったのが延喜社である。ここに参ると皮膚病が直るといわれ参詣者が多い。  行鎮寺は戦火のため焼失したといわれ...

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