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「大和町」「美術工芸品」「古文書・歴史資料」は9件登録されています。

  • 肥前風土記

    前代すでに漢字漢文がわが国に伝来し幾らかの文献ができたが、わが郷土に関する記録は極めて少なく、わずかに肥前風土記があるだけである。  風土記は元明天皇和銅6年(713)諸国に命じてその国名、郡名、郷名、またその郡内に生産する銀銅、彩色、草木禽獣魚虫等の種類名称をくわしく記録し、又その地方の古老が昔から言いつぎ語りついできた古い伝承や変わった事蹟等を集め整理して、これをまとめた書冊にして奉れといってい...

  • 葉隠とその教え

     葉隠は葉隠聞書ともいう。佐賀藩士山本常朝は2代藩主鍋島光茂が死んだので武士を捨てて髪をおろし金立の黒土原に閑居していたが、同じく光茂に仕えていた御書物役を勤めていた田代陣基も御役御免の身となった。この陣基が常朝を黒土原の草庵に訪ねたのが宝永7年(1710)の3月で、それから享保元年(1716)まで前後7年間にわたり常朝の談話や常朝自筆の「山本神右衛門清明年譜」「山本神右衛門重澄年譜」「愚見集」「常朝書置...

  • 大和町関係の古絵図

     江戸時代に入って急速に発達したものの1つに地図がある。一国全域を地図化したものに国絵図があり、村ごとに作られた村絵図、町を示した町絵図等がある。その外多様な絵図が残されているが、江戸時代の絵図は今日とやや異なり絵画的要素を多分に含んだ地図である。  佐賀県立図書館にはこれら各種の古絵図が所蔵されているが、これらの古絵図の中で大和町関係のものは次のとおりである。  国分村絵図、国分寺南方羽巣輪一帯...

  • 揚心流捕手目録

     長い巻物に墨で鮮やかに図を入れて揚心流の基本型を示した免許状で、これは万治3(1660)年6月28日付である。昔の慣例によると、こうした免許皆伝はいわゆる自分の嗣子か愛弟子の中の1人にしかやらなかったものである。最後にこの揚心流の禁制として五ヵ条をあげているが、この五ヵ条に背く時は摩利支尊天の罰を受けると戒めている。  摩利支尊天は印度の神で、火星の女神をいい、国を護り兵戈を救う大力があるというので、武...

  • 山伏棒術免状

     横馬場の宮副 茂氏所蔵のもので、享和2年(1802)3月吉日の日付けがある。山伏独特の棒術の免状で図入りの基本型を示している。又棒の持ち方、棒の下ろし方、棒仕合のことや「殺之伝」という項の「月影」、「村雨」、「水月」等いずれも「口伝」となっており極秘のもののようである。免状の文中に 「あぢきなや 山路をたどり 行時は 瀬の鳴音を 道づれにせよ」 と和歌によって秘伝を伝えるなど、まことに奥床しいもので...

  • 真乱流兵法序

     久留間の橋本嘉宣氏所蔵のもので、柔術の奥義を伝える「秘伝」のようである。これは明治22年(1889)3月10日の日付けがある。橋本家の先祖は代々こうした武術のほまれ高く、江戸時代には小城藩の指南を勤めていたらしく、橋本両家の庭にはそれぞれ大きな記念碑が建てられている。  この巻物の終わりの方に「右は伝来の秘事をくわしく伝授した。例え親子兄弟であってもみだりに見せたり話してはならぬ」と戒めてある。

  • 長崎港の絵図

     横馬場地区に代々区長が保管することになっている長崎港の絵図がある。彩色を施した大きなもので長崎港警備藩の配置や港内の水深まで示した詳細なもので、その箱には佐嘉郡佐保川島郷とあり、絵図の内容等から推定して、寛政年間以前のもののようである。 川上村時代の2代村長 岡 太一が村長になる以前長崎に在住し、帰郷する際持ち帰ったものと伝えられている。

  • 国分忠俊書状

     朽井村地頭国分忠俊が田畑山野を尊光寺に寄進するという書状で文永8年(1271)のものである。

  • 300年続く祭りの記録

     川上地区に寛文5年(1665)「肥前国第一宮河上淀姫大明神假(仮)祭帳事九月二十五日」という淀姫社例祭に関する記録綴りと、明和7年(1770)の同様な記録綴りが残されている。  いずれも和紙に毛筆で記録され、紙面は変色しているが、明和のものより100年も古い寛文の方の綴りが破損も軽く、文字も容易に読みとることができる。内容は淀姫社假祭りの「仕様定書」が書かれ、祭りの様式・準備・供物の種類と数量・食事の内容...

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