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「大和町」「神社仏閣」「寺」は14件登録されています。

  • 実相院

    真言宗で本尊は薬師如来である。寺伝によれば開山は元明天皇の和銅5年(712)僧行基が実相院 の西北方岩屋山に草庵を建て「神宮寺」と称し法相の布教に勤めたのが始まりだとされている。それから377年経過した寛治3年(1089)8月、河上神社の社僧円尋が実相院裏山一帯の荒地を開墾し一宇の房舎を建て河上山別所と称し、薬師、弥陀二仏を本尊とした。円尋は行基より49代、天台宗の僧で、ここに一宇の僧堂を建ててから如法経会を始...

  • 健福寺

    大和町大願寺にある真手山健福寺は和銅年中(708~715)、僧行基が「元真手」山中に開基したといわれている。その真偽はともかくとして当寺が鎌倉時代初期に存在していたことはここにある銅鐘の銘によって明らかである。  真言宗で本尊は千手観世音菩薩である。中世以前の健福寺は本尊は十一面観音菩薩で、現寺地より北方約2㎞、急峻な高台で、現在柑橘園になっているが、応永年間(1394~1428)作の「真手地蔵」がまつられ、...

  • 万寿寺(お不動さん)

     仁治元年(1240)神子和尚が開山した寺で、四條天皇から「水上山輿聖万寿寺」という寺名をもらったといわれる臨済宗の寺である。本尊は神子和尚作と伝えられる不動明王である。  「鎮西要略」並びに「開山行業記」の中に  『大治五年(1130)水上山に善住という異僧がいた。天台宗の僧で、ここで不動の法を修すること多年、天がその仏心に感応してその年の五月二十八日丑の刻(午前二時)に宝剱を下された。天皇のお言葉に...

  • 高城寺

    本寺は文永7年(1270)鎌倉幕府執権北条時宗が敷地山林を寄進し、久池井の地頭国分次郎藤原忠俊(尊光)によって創建された。開山は順空、後の円鑑禅寺である。元弘3年(1333)後醍醐天皇より勅額や綸旨を賜り、以来、勅願寺として歴代朝廷の帰依も厚く、また鎌倉幕府の祈祷所としても尊ばれた。多くの寺領の田畑300余町(約300ha)を有し、塔頭などの伽藍が立ちならび、聖地として、また、肥前国内の名刹として有名であっ...

  • 光明寺(廃寺)

     大和町今山の北、男女山南のふもとに浄土宗光明寺跡がある。鎌倉3代執権北條泰時の子孫が仏門に入り、筑後国(福岡県)善導浄寺の開山聖光上人の弟子となって修行し「正空」と号してこの地に光明寺を建てたのが始まりとされ、建治年間(1275~1278)の昔である。  正空上人は性柔和で頭脳明晰、ついに一宗の奥義を究めた名僧で、その徳を慕う者数多かったという。光明寺の堂宇は「大廈宝塔の備え厳然として」とあるから大規...

  • 玉林寺

     永徳2年又は弘和2年(1382)9月、鎰尼信濃守季高が建立し無着禅師の開山である。   鎰尼季高寺地寄進状写  建立 箱崎御領肥前国朽井村玉林寺敷地山内外田畠等之事 四至 限東朽井堺堀通 限南若宮御前馬場堀道 限西四万取川 限北那於山堺  仍已後之證文如件   李高判   ※朽井=久池井 四万取川=市之江 那於山=名尾山    永徳二年九月五日  更に至徳3年(1386)正月18日付で鎮西探題今川了俊より季高寄付...

  • 通天寺(通天庵)

     深江信渓の父茂利はかねてから肥前の名刹安国寺再興を念願していたが、果たすことができないで死んだ。そこで二男杢助は父の遺志を果たすため、井手にある廃寺同然の信渓山通天庵を復興し、山号を安国山、寺号を通天寺と改め、信渓山の名称を杢助自身の号とし、深江平兵衛杢助信渓といった。信渓は賢渚和尚(後に高伝寺12世)を開山とし、信渓自身は開基となった。明暦3年(1658)2月のことである。のち通天寺は高伝寺の末寺...

  • 永明寺

     深江信渓は当時の社会全般が浮薄になって、敬神崇祖の精神が衰えているのを嘆き、神仏信仰と忠孝の精神を盛んにしようとして、北原村(現在北原団地)にある法華山永明寺という荒れ果てた寺の再興を計り、山林一町(1ha)余を寄付して成就した。更に寛文2年(1662)43才の時、大木英鉄、真阿上人らと話し合って、楠公父子の尊像を佐賀城下に奉祀しようと、神社創立の趣意書を作り、奉加帳を回して藩内上下の賛同を得ようとし...

  • 湛然和尚と華蔵庵

     湛然和尚は鍋島家の菩提寺である高伝寺の第11世の住職であった。寛文のころ城内中の館円蔵院の住職村了和尚は、かねがねの希望として、円蔵院は龍造寺家純代々の菩提寺だから藩内12か寺の列に加えてもらうように願っていた。ところが思うように行かないので、藩主光茂が本庄の慶誾寺へ参詣した機会をとらえて、光茂が礼拝する時仏壇の下から直訴した。光茂は怒って八戸の天福院で寛文9年(1669)2月2日死罪にすることになった...

  • 尊光寺跡

     久池井と国分の地頭であり、高城寺の開基である国分次郎藤原忠俊が建立したものである。最明寺入道時頼が正嘉元年(1257)全国を行脚して肥前国へきた時、尊光寺へ宿して地方を巡視したと伝えられている。現在は場所が特定できない。

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