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「大和町」「建造物」「碑」は3件登録されています。

  • 鎌田景弼顕彰の碑

     鎌田景弼は天保13年(1842)熊本城下古京町に生まれ、明治16年(1883)5月初代佐賀県令として赴任し、明治21年(1888)6月病を得て死去した。  景弼は在職5年有余にわたり、県令(知事)として県内の道路、河川の改修、中学校の建設、県庁舎の新築等の大事業を完遂し、県民の信望極めて厚かったという。  景弼は県令在職中、風光明媚の川上峡を愛し、しばしばこの地に足を運んだという。県民はその功績の偉大なるを称え、県...

  • 今泉蟹守先生歌碑

    昭和55年(1980)9月に、健福寺境内に今泉蟹守先生歌碑建設委員会で歌碑が建立された。 歌碑には、「渋柿のうまくなる世とまつほとに 身は老にけり木のもとにして」と刻まれている。 碑文は次のとおりである。 先生(本名隼太、屋号鞆屋、雅号御蒼生地)は、文政元年佐賀城下に生まれ、永年、大和町大願寺に在住、藩主直正公(閑叟)に任える一方、県下北部各地に学塾を開き、和歌、国文学の深き造詣を以て、郷土の青年子女を...

  • 今山古戦場の碑

    今山の戦から丁度100年後の寛文9年(1669)8月20日(新暦9月15日)の百年忌に際して、高城寺の住職は親貞主従の墓を赤坂山麓に建立した。後年親貞の墓は成松信勝の子孫の希望で更に高い赤坂山の頂上に移された。今は山全体が密柑山で頂上まで舗装された道が続いている。山頂の大友公園には親貞の墓と大和町が建立した「今山古戦場」の碑が並び建てられている。親貞の墓は自然石で、碑面に「無庵玄鑑居士」の法名が刻まれている...

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