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「諸富町」「人物」「人物」は25件登録されています。

  • 糸山 貞幹

    佐賀における神道学、国学の権威者として、その名を知られ、特に郷土史に明るく、神社仏閣等に関する研究を行う。天保2年(1831)2月16日、佐賀郡為重村(現諸富町三重)に糸山主計の長男として生まれる。吉田神道の教えをうけ旧藩時代において、神学寮教頭を務めた。明治維新後、高良神社、田島神社、香椎宮などの権宮司または宮司となる。その後、佐賀中学校、師範学校で教鞭を執る。学殖が豊富で著書には『淀姫神社雑記』、...

  • 江副 靖臣

    江副は嘉永4年(1851)、佐賀藩士、野口惣三の三男として佐賀郡大堂村(現諸富町)に生まれる。幼名を又四郎。のち惣一と改め江副家の養子となる。弘道館に学び、17歳で江戸詰め、明治維新後、慶応義塾に入り、また横浜で英語学を学んだ。明治7年、24歳の時、佐賀戦争では征韓党に属し、のち同志と共に戊寅義塾を起こす。これより先、明治5年、初めて『佐賀新聞』を創刊するが幾もなくして廃刊し、明治16年、佐賀活版社を設立...

  • 糸山 貞規

    慶応3年(1867)7月11日、佐賀郡為重村(現諸富町三重)において、旧佐賀藩の皇学家糸山貞幹の長男に生まれる。皇学家の伝統ある家風によって培われた清純な真心をもって、力強く生き抜く素質の持ち主であった。長じて、勉学の志を立て上京し、明治大学に学び、明治23年、同大学法律、政治の2科を卒業。同27年、判検事登用第1回試験に合格して司法官試補に任ぜられる。同29年、判検事の第2回試験に及第し、予備検事と成り、...

  • 牟田 亀太郎

    海軍少将。明治8年2月15日、佐賀郡大堂村(現諸富町加与丁)において、父守常、母夕子の長男に生まれる。明治30年12月、海軍兵学校を卒業し、明治32年2月1日、海軍少尉に任官する。明治37年2月5日、日露国交断絶により、千代田艦に乗り組み、韓国仁川港に碇泊し、警備艦として終始同港にあり、旅順口陥落後は、マニラ湾において敵艦隊の出動を偵察、報道を敏活に行い連合艦隊に多大の利益を与え、日本海海戦の際は、敵艦...

  • 松田 元武

    陸軍歩兵大佐。明治11年(1878)2月28日、佐賀郡大堂村(現諸富町太田)において、村会議員、郡会議員などの要職を務め、村治に功労した松田祐七の長男として産声をあげる。明治31年11月、陸軍士官学校を卒業し、翌年6月、歩兵少尉に任官。歩兵中尉として、明治37年5月から同年10月まで日露戦役に出征する。歩兵第四十八連隊補充隊中隊長、陸軍中央幼年学校生徒隊中隊長、陸軍戸山学校教官、陸軍歩兵学校教導大隊中隊長、歩兵...

  • 西村 熊若

    海軍機関大佐。明治12年(1879)2月2日、佐賀郡為重村(現諸富町三重)において、佐賀郡各村組合議員を務めた西村小源太、アイの長男として生まれる。新北小、佐中を卒業、明治31年1月、海軍機関学校に入学後、同34年4月、同校を経て、明治35年1月、海軍少尉に任官。各所に転任して大正8年12月1日、海軍機関大佐に任ぜられる。日露戦役の際には、高千穂、瓜生艦に、その後は、和泉、浪速、千代田艦に乗り組み、日独戦の際...

  • 大木 重實

    陸軍砲兵大佐。明治15年(1882)8月4日、南川副村大字犬井道(現川副町)に内田藤次、イシの三男として生まれる。長じて、明治42年、新北村大字為重(現諸富町西寺井)大木延建の養子となる。唐津中学を卒業、明治31年9月1日、熊本地方幼年学校に入学後、陸軍中央幼年学校を経て士官候補生となり、明治37年10月、陸軍士官学校卒業。日露戦争、シベリア出兵、大東亜戦争などに参加する。この間、野戦砲兵第十六連隊補充大隊付...

  • 松田 国三

    陸軍歩兵少将。松田国三は、陸軍歩兵大佐松田元武の実弟にあたり、明治16年(1883)7月8日、佐賀郡大堂村(現諸富町太田)に生まれる。明治30年、東川副尋常小学校を卒業するや、熊本地方幼年学校に入り、陸軍士官学校を卒業。明治37年11月1日、陸軍歩兵少尉に任官し、歩兵第二十四連隊付となる。日露戦役に出征後、中央幼年学校生徒隊中隊付を経て陸軍大学校へ進み、歩兵第二十四連隊中隊長を務め、大正2年12月、同校を卒業...

  • 横尾 闊

    陸軍砲兵中将。明治25年(1892)2月21日、新北村大字寺井津(現諸富町西寺井)に横尾達次の長男として誕生する。幼少の頃は、西寺井で村会議員を務めた深町房太郎に育てられる。明治38年9月1日、地方幼年学校入校後、中央幼年学校を経て士官候補生となり、大正元年5月、陸軍士官学校を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官。シベリア出兵、満州事変(錦県)、支那事変(中支、満州)、大東亜戦争(満州、比島)などに参加。大正元...

  • 真島 チモ

    明治25年(1892)4月19日回船問屋「丸屋」を営む、父利吉、母フミの二女として、東川副村大字徳富(現諸富町)に生まれる。幼少のチモは、明るく、天真爛漫で、わけてもチモの“赤ん坊好き”は並はずれていた。東川副尋常小学校、佐賀成美女学校を卒業し、京都看護学校(同志社看護学校)、横浜ゼネラルホスピタルで高等看護技術を修得した。在日英国大使館から派遣され英領香港政庁付属病院に勤務したのち、大正11年渡英後、欧州...

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