無著妙融像 一躯

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無著妙融像 一躯

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■所在地佐賀市大和町大字久池井 玉林寺
■文化財指定状況佐賀県 重要文化財
■文化財指定日平成13年2月28日
■登録ID5307

無著妙融(むじゃくみょうゆう)(1333~1393)は、薩摩大隅の生れで日野氏の出身。諡(おくりな)は真空禅師。肥前万寿寺を経て、紀伊、山城、薩摩の諸寺で修行し、貞治5年(1336)に日向太平寺、永和元年(1375)年に豊後泉福寺、永徳3年(1383)に肥前医王寺、至徳元年(1384)に肥前玉林寺を開いている。道元から数えて七世代目、曹洞禅の全国発展期の僧であり九州各地で活動している。臨済法灯派の禅僧との交流も知られる。
この像は、像高(坐高)66.8センチメートル、檜材を用いた寄木造りで玉眼を嵌入している。法衣の上に八角環をつけた袈裟をまとい、右手に竹箆(しっぺい)を握って椅子に坐す姿である、顔立ちはやや面長で、頬骨の張ったしっかりした骨相である。豊後泉福寺には南北朝時代の肖像彫刻と江戸時代の肖像画が伝えられているが、本像の顔立ちは泉福寺の肖像画に近く、肖像彫刻とは像高や面長など主な法量がほぼ一致する。
像心束、前後束などの構造的特徴から中世の院派(いんぱ)仏師により制作されたと考えられ、製作の時期も玉林寺が開かれた至徳元年(1384)からあまり離れない頃の南北朝時代末から室町時代初と考えられる。
天正3年(1575)、寛文6年(1666)、寛政元年(1789)、明治38年(1905)の修理銘がある。天正3年に本像の修理を行っている心月齋は、京都の仏師で、佐賀市龍田寺、吉野ヶ里町東妙寿、小城市円通寿、白石町福泉寺、唐津市相知町医王寺・妙音寺などでの修理・造像活動が確認されている。
本像の骨太く力強い顔立ちは、曹洞禅の全国発展期に九州各地で活躍した無著妙融の姿をよく伝えている。県内で中世にさかのぼる肖像彫刻は重要文化財の円鑑禅師像(佐賀市大和町高城寺)などわずかしかなく中世後期をを代表する院派仏師のの政策と考えられる。