柳町の民家・中原洋三家

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柳町の民家・中原洋三家

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■所在地佐賀市柳町
■登録ID470

 中原家は、柳町の東部にあって昔の長崎街道沿いに建てられたものでその昔は、上今宿町と呼ばれていたところで、思案橋の『蔦屋』から北に行ったところに中原家があり、その向い側には大坪佐八家がある。また、すぐ北にある追手橋付近までには古い民家の町並みが見られ往時の長崎街道の面影を色濃く残している。 中原家は、『古手店、(ふるてや)貸書林を営み、唐物座札を商っていた』と古書に記されている。 循誘校区にはこのほか材木町や下今宿町など古い民家や商家などを見ることができるが、佐賀市は幸いにも今度の戦争による被害が少なく、したがって古い民家が市内各地に数多く残って、全国的に見ても珍しい建築遺産として注目されている。下今宿町付近も、佐賀藩唯一の河港として、かつては数多くの商家が建ち並んでいる豊富な民家の町並みであるが、県道の拡幅工事で姿を消して行くのはまことに残念で、鬼瓦等の一枚でも残していくように配慮をお願いしたいと思う。    
 九州の三大歌人といわれる人は、柳川の北原白秋、宮崎県延岡市の若山牧水、そして佐賀市久保泉町の中島哀浪氏である。 中原家の故中原勇夫氏は佐賀大学文理学部の教授をされるとともに、中島哀浪氏が主宰した『ひのくに』を継承されるとともに、幾多の歌集を出版され中でも『今泉蟹守歌文集の出版、その他万葉集の研究や杵島山に万葉杵島曲歌垣碑、中島哀浪歌碑の建設など幅広い活動を進められた。その為数々の文化功労賞を受賞され、佐賀県短歌界の発展に不滅の業績を残された。

出典:ふるさと循誘(P.65)

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