佐賀劇場跡

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■所在地佐賀市材木1丁目
■年代近代
■登録ID467

 佐賀市材木町一の橋にあった佐賀劇場は、大正5年福岡市で開催された九州沖縄八県連合共進会の演芸館を古賀小一氏が払い下げを受け、当時『改良座』と称して演芸場を開設したのが始まりである。この劇場は、内側と外側が別々に回る二重の円形舞台が装置される等設備が整っていた。大正8年には『栄楽座』と改め、また昭和14年頃に『佐賀劇場』と改めた。佐賀劇場では、いろいろな演芸が上演され、芝居や浪花節(浪曲)は特に賑わい、関東関西の一流浪曲師が、この佐賀劇場の舞台で活躍し、『佐賀で浪曲の興業をやって損したことがない』と市民の間で口々に言われたこともあった。現在大相撲の国技館のように、建物の周辺には、何本も、のぼり旗が立っていて娯楽施設としての演芸場の雰囲気を一段と盛り上げていた。また、筑紫美洲(主)子さんもこの舞台で大いに活躍されていた。芝居と映画を組み合わせた『連鎖劇』といわれる新しい芝居なども上演されるなど、次の時代に出てくる常設映画館が流行するまで、佐賀市民の娯楽施設として重要な役割を演じてきた。その他当時の演芸場は、演説会、講演会などの集会場としての利用も多くあった。佐賀のガス会社の開業式も大正2年4月13日にこの改良座で行われ、佐賀県知事、佐賀市長の他400名が集まり、賑やかな式典であったと当時の新聞は報じていた。また、明治17年頃松原町新馬場に『松栄座』ができた後に『新栄座』と改められたが、(後に昭和館と改称)ここでは、佐賀市が水道施設の建設計画を進めた大正2年には、大々的な『佐賀市水道建設反対市民大会』がこの『新栄座』で開催された歴史もある。

出典:ふるさと循誘(P.51)

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