牛島天満宮

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牛島天満宮

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■所在地佐賀市東佐賀町15-30
■年代中世
■登録ID464

 牛島天満宮は、かつて蓮池町にあったらしく、鍋島勝茂公が佐賀城を築かれた折り、城の鬼門(北東)に当たる牛島町に移して、城の護神として祀つられた。 天満宮は全国に1万社以上あるといわれ、御祭神は菅原道真公である。学問の神様として有名である。天満宮のいわれは、『天満大自在天神』と呼ばれ、それは雷神の別名でもあるが、それを縮めて『天満宮』とか『天神さま』とか呼んだのである。 神橋前の肥前鳥居は、慶長の頃建造されたものである。この肥前鳥居の形式は、石柱の下部が力強く幅が大きくなっていて、笠木は太い柱に対して薄手で先端は流線型、一種特有の様式である。また肥前鳥居には、額束のあるのとないのものとあって、額束にしても細い角柱のものと、幅の広い方形板のもあるが一定していない。佐賀市には、牛島神社のほか与賀神社、伊勢神社、北面天満宮、掘江神社、八幡神社、本庄神社などにある。県内最古のものは、東松浦郡湊町の八坂神社にある。拝殿の前の上にある『天満宮』と彫刻の額があるが、これは大木英鉄の書である。英鉄は大木喬任の先祖で書画を善くした。また大木喬任の子で大木遠吉は、鉄道大臣のときに国鉄佐賀線を計画し推進した人である。牛島天満宮は、仁平元年(1151)道真公から第16代目に当たる、菅原教正が巨勢郷牛島村に社を創建したしたことに始まっている。牛島天満宮の境内には、樹齢千年といわれ佐賀市天然記念物に指定された楠の大樹がある。このほか石造りの肥前鳥居や、太宰府から分芽した飛び梅や古い石橋がある。また、金刀比羅神社や石造物の庚申塔、猿田彦大神、招福神の稲荷大明神等数多くの石造物があって、石造物文化財を研究する上からは、大変興味深い存在である。

出典:ふるさと循誘(P.31)

 慶長年間(1596-1615)の佐賀城下建設に際し、鬼門鎮護のため旧蓮池町牛島から鍋島勝茂によって遷座されたもので、境内入口に建つ肥前鳥居には勝茂の名前が刻まれています。
 鳥居を潜って石橋を渡ると楼門、その奥に西を正面として拝殿、本殿が建っています。楼門は一問一戸四脚門、屋根は切妻造本瓦葺で、19世紀中頃の建築と推定されます。本殿は三間社流造銅板葺、朱塗りの社殿で、虹梁絵様や木鼻絵様は17世紀後期の特徴を備えており、擬宝珠高欄に銘のある延宝8年(1680)の建築と考えられ、保存状態も良好です。拝殿は、入母屋造銅板葺、正面に軒唐破風を付し、様式から19世紀前半の建築と推定されます。境内には、稲荷大明神やレンガ祠の白太夫神社も祀られています。
 境内は三方を水路で囲まれ、佐賀市の天然記念物に指定され、佐賀県の名木百選に選ばれている大楠を始めとして、樹齢500年から1000年の古い樹木も多く、江戸初期から昭和初期の石造物も数多く残され、風格のある佇まいを見せています。これら建築年代が江戸時代に遡る建築物、城下町建設時に遡る石鳥居や石橋などの工作物、さらにこれらを取り巻く樹齢を重ねた樹木と水路が一体となった姿は、佐賀市を代表する重要な歴史的景観となっています。

出典:佐賀市のHP“景観”

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