お水堀

お水堀

■所在地佐賀市蓮池町
■年代近世
■登録ID340

水源は城原川お茶屋畑より引水してある。
下直鳥村ほか5村が姉村と水論を起こし、相応答あって1824年3月解決する。
神埼郡境原村の底樋の討議は1828年1月解決。この底樋は、郷内の6村の用水として用いる。城原川から引水した水は留浪川を通り、浜へ行き、見島のお水堀に溜まる。
このお水堀より中地川の底の下を潜って立体交差する水路がある。見島のお水堀の井ビから大橋へ。北名を西へ抜けてデンゼ橋の下からお祇園さんの太鼓橋をくぐり、神埼町の南を東進して、出張所の前の橋の下をなお東へ少し行き、南へ曲がって公園を抜け、先得亭で江湖へ出る。たいした迂回路だが、もと城原川の「お茶やの井樋」(直鳥)から引いた良質の水で、江湖に遠い家庭の多くが恩恵を受け、また農業用水として地区を潤した。
古老の話によれば、城原川の「よい水」を中流(現千代田直鳥)で採り、蓮池方面の上水として利用した昔の水路。藩主の用にも使ったため、特に大切にしていたが、当時は城原川、佐賀江(湖)の水もよく使っていた。混ざり物があるので、各家大がめに汲み込んで、いくらか澄ましながら使った。お水堀の水は、上流からの水が多いので上質だったと思われる。

 (注)「祇」の左部分は「ネ」で表記される。

出典:蓮池藩日誌芙蓉P171 ワークショップ