熊の川温泉

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熊の川温泉

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■所在地佐賀市富士町大字上熊川(湯の原)
■登録ID2772

 この温泉は、佐賀市から16kmの北方に在って地の利を得ている点条件がよい。
 中国の政務院副総理、中国科学院長など歴任した郭沫若先生が、かつて大正12年(1923)に九大医学部を卒業し、その翌年の大正13年(1924)、妻子4人を連れて滞在されていたことで有名である。この湯の泉源、泉質、適応症など、古湯温泉と同型で著しい差異は見られない。ここより4km北方の古湯温泉とともに、昭和41年7月厚生省より、「古湯、熊の川温泉郷」として、国民保養温泉として指定を受けた。
大同元年(806)に弘法大師が唐から帰国して、全国行脚の途中、弘仁7年(816)にこの地を訪れ、足の折れた鵆が田の中に入ったり、出たりを繰りかえしているいるうちに足が治って飛び去っていたのを見て温泉を発見したと言われている。その謂れが寿屋旅館の玄関に飾ってある。(明治17年に花房郁太郎という人が「隈川温泉」という題目で書いている。)その後、洪水で水没したが、延宝時代(1673〜1680)、時の大庄屋山口金左衛門が埋没した温泉を再興したと言われている。
当時から、皮膚病や毒除きに効果があるといわれ広く利用されてきた。初代佐賀藩主鍋島勝茂が家老に宛てた書状に、病のため熊の川温泉で湯治することを書き送ったものがあって、戦国末期からすでに名の知れた温泉であったことがわかる。
 火災や洪水の被害にあいながら明治12年(1879)に村有となり、その年旧11月より明治14年旧3月まで熊の川温泉の改築が行われ、力役として次の地区が協力した。熊川、湯原、柚木、内野、下熊川、永渕、合の瀬、大野原。 明治13年8月旧17日より30日間歌舞伎が実施された。
昭和24年(1949年)の大水害まで、河川敷には露天風呂があり、また、温泉のこぼれ湯では、地区の人達の洗濯場となって賑わっていたそうである。
 平成4年に第二泉源が発掘され「鵆熊泉」と名づけられ、旅館はすべてこの「鵆熊泉」を利用している。熊の川温泉はラドン(ラジウム)含有量は九州一という放射能泉で、肌はツルツルになるし、いろいろな疾患に効果が大である。昭和36年、大火災発生。昭和41年7月国民保養地に指定される。平成10年4月には,富士町と湯の原地区との第3セクター方式の「鵆の湯」がオープンし、地区も大いに賑わい、現在に至っている。

出典:富士町史下p.230〜p232 p625 P752〜754

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