青木熊吉

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青木熊吉

■所在地佐賀市多布施三丁目
■登録ID2576

  元治元年(1864)〜昭和14年(1939)
 佐賀郡金立村(現、金立町)に生まれる。
 明治16年に設立されたガラス工場の精煉社は、幕末期佐賀藩主鍋島直正の命によって建設された精煉方(現、多布施3丁目)が改称されたものであり、正式には精煉合資会社といった。明治維新後、精煉社でのガラス事業は、鍋島家が管理し、明治21年(1888)に青木熊吉、岡部才太郎をガラス製造の技術習得のため、東京の工部省工作部へ派遣し、英人ゼームス・ピードについて研究させた。両人帰国後は、精煉社ではもっぱらガラスを製造、ランプ、コップ、ハイ取り器なども生産し、販路は県下一円、近県、遠くは支那、朝鮮、台湾におよんでいた。
 後に、青木熊吉は、精煉社を譲り受け、量産にはげみ財をなした。
 当時、精煉方近くの多布施川に架けられていた掃部殿橋は、土橋であったため、水害のたびに流され、そのたびに住民は橋造りに駆り出されていた。そのため、住民の要望を入れて青木熊吉は、橋の建設費を出資し、明治38年(1905)長さ11m、幅4mの石橋を架けた。青木熊吉の名にちなみ「青木橋」と名づけられた。
 尚、現在の「新青木橋」は、昭和38年(1963)3月に老朽化したために、架け替えられたものである。

出典:日新読本p.167

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