大和町関係の古絵図

大和町関係の古絵図

■所在地佐賀市大和町
■登録ID2248

 江戸時代に入って急速に発達したものの1つに地図がある。一国全域を地図化したものに国絵図があり、村ごとに作られた村絵図、町を示した町絵図等がある。その外多様な絵図が残されているが、江戸時代の絵図は今日とやや異なり絵画的要素を多分に含んだ地図である。
 佐賀県立図書館にはこれら各種の古絵図が所蔵されているが、これらの古絵図の中で大和町関係のものは次のとおりである。
 国分村絵図、国分寺南方羽巣輪一帯、福島村(天明6年)、川上宿一帯(天明5年)、東山田(天明5年)、淀姫社北方(天明5年)、大願寺(天明5年)2枚、横馬場(天明5年)、今山(仝前)、都渡城(天明6年)、下田一帯(仝前)、有木広坂(仝前)井手原(仝前)、三反田(仝前)、名尾四十坊(仝前)
 又この村絵図には一々作製上その他についての説明がつけられている。この絵図を作ったものの道路や堀、屋敷等は異動があるので時々増補するようなど細かい配慮をしている。後に掲げた当町の村絵図は、例えば立石から川上に至るほぼ一直線の道路は、河上神社の参道であったため、他の道路よりも道幅も広く、道の両側には杉の並木が描かれその間に松が点々と描かれている。ここを年2回の祭礼の時は松明をともした御輿が夜中に下り、平野の下の宮から翌々日の昼河上神社へ帰った様子が想像される。又有木から広坂へは今の川沿いの道はなく山麓を通って筑前や唐津等へ往復したのである。

出典:大和町史p580〜586