五月節供

五月節供

■所在地佐賀市川副町
■登録ID2022

 男の節供・五月節供・菖蒲の節供などという。初めて男児が生まれた家では、親類等を招きセックブンミャア(節供振舞)を催した。また菖蒲とフツを軒先に突き刺したり、ノボリの笹竹につけたりした。「菖蒲は塩きらう」とされ、犬井道あたりの菖蒲は大正3年の堤防決壊でほとんど全滅してしまい、あまり流行しなかったといわれている。また、『沿革誌』によると、明治末期には木綿幟が禁じられ、紙幟をたてたことが記されている。
青年達はセックジオ(節供潮)と称して潮干狩にいき、それを肴にして飲食していた。

出典:川副町誌P.767