三重津海軍所跡

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三重津海軍所跡

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■所在地佐賀市川副町大字早津江津
■文化財指定状況国 史跡
■文化財指定日平成25年3月27日
■年代近世
■登録ID2006

 歴代佐賀藩主の御用船を置く船蔵があったところ。最後の藩主鍋島直正は海軍保有の大切さに気づき、弘化4年(1847年)この地に佐賀藩海軍所を創設し、佐野常民を所長として多くの海軍兵士を養成した。日本最初の蒸気船「凌風丸」もここで建造されたが、明治4年(1871年)廃藩とともに閉鎖された。
 その後、明治35年(1902年)佐賀商船学校がこの地に設置され、昭和7年(1932年)同校が廃校になるまで、700余名の優秀な海員を世に送り出した。

出典:川副町史跡探訪

【三重津海軍所跡】
 三重津には、海軍所より前に佐賀藩船の繋留所などの施設として「船屋」「船蔵」が設置されていた。三重津海軍所は、1858年(安政五年)に佐賀藩が「船屋」を拡張し海軍学校である「船手稽古所」を設立したことに始まり、翌年の1859年(安政六年)には、調練場・船渠などを増設して本格的な海軍根拠地(軍港)として整備するともに、幕府の「長崎海軍伝習所」の閉鎖を受けて航海・造船・銃砲などの学科・技術の教育を行なった。慶応元年(1865)には国産初の実用蒸気船「凌風丸」を完成させた。三重津海軍所は明治初期に閉鎖されたと思われるが、その時期についてはよく解からない。三重津海軍所の跡地は、1902年(明治三十五年)に佐賀県立商船学校として利用されたが、商船学校は1933年(昭和八年)に廃校となった。平成21年から行なわれた発掘調査で、海軍寮の建物跡や、製罐所の炉跡や船渠護岸などを確認している。

出典:文化振興課前田達男氏提供

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