日子神社(権現さん)

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■所在地佐賀市神園5丁目7-20(八戸溝公民館内)
■登録ID1669

 歴代の佐賀藩主は、豊前(福岡県田川郡)にある英彦山権現を信仰していた。藩主は英彦山権現の信仰を広げ、幕末になると佐賀藩では他領の神社や寺院への参拝を禁止したが、伊勢大神宮や英彦山参詣は例外として許された。
従って、八戸溝の人々は、英彦山や伊勢大神宮詣でをするようになり、八戸溝に氏神として「日子神社」を建立したものと思われる。「日子」と言うのは「英彦」の俗字(あて字)であり、英彦山権現のことであり、祭神「日子」は天照大御神の子、「天忍穂耳命」のことであると言われている。五穀豊穣の神であり、特に農民に信仰が厚かったようである。日子神社の当時の神殿の面影は現在見られないが、祭神の石祀の両扉には佐賀藩の家紋が刻まれている。それは、歴代の藩主が英彦山権現の信仰布教に力を入れた現われと思われる。
石祀には建立年代が明治35年となっているが、境内西側の正面鳥居の建立は、安政5年(1858)となっており、石祀銘文の年代以前の藩政時代に建てられたように思われる。境内には、古い石祀が数基あり、日子神社とのかかわりがあると思われてならない。
古老の話によると、「昭和の初めの幼い頃は、日子神社社殿のお堂の上でよく遊んだし、第55連隊のラッパ手は、雨が降ると雨宿りをしていた」と語っている。その後、老朽化に伴い、昭和61年現在の銅葺きの社殿が、浄財によって再建されている。
また、日中戦争や太平洋戦争で出征するときは、武運長久の祈願と壮行式が八戸溝町民によって行われた。

出典:八戸溝の石造文化

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