水神・海神

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■所在地佐賀市諸富町
■登録ID1554

水を司る神は水神・水天・川神・龍神などと呼ばれる。水の神は日常の生活用水のほとりに祀るもの、水田の近くや灌漑用水のかたわらに祀るもの、海辺に祀るものなどがある。
日常の生活用水のほとりに祀る水の神は、野菜や食器を洗ったりするカワジ(水使い場)の近くに自然石や「水神」と刻んだ石祠を立てたりしたもので多くは屋敷神の一つとして祀られている。
春の初めに行われる川神祭りは、水への感謝と子ども達が水難を免れるための祭りで、ヒャーランさんとも呼ばれ水神への願いが込められている。水死はカワソウ(河童)に引きこまれて溺れると信じられていた。カワソウは川や池、沼などに棲むといわれる空想上の妖怪であるが、水神の零落した姿ともいわれている。
大中島の弁財天に、カワソウの手と称す木製の彫物が祀られている。伝承によれば昔、カワソウが弁財天に捕えられ、大中島の子どもは絶対にさらわないと約束をして離されたという。
弁財天はもともとインドの一地方の河(川)神として尊崇されていたものが、仏教に取り入れられ農業神、水神として信仰されるようになったものであろう。町内では海に近い集落に多く祀られている。
渡端の氏神社弁財天は、一時大堂神社に寄宮されていたが、子どもの水難事故があいついだので再建立したもので、今でも毎月15日と29日に主婦により弁財講が行われている。
大中島の弁財天は、昔大洪水のとき、中川副村中津から流れてきたもので、中津側と大中島において返す返さぬの争いがあったが、藩公がこれは因縁あって大中島に流れついたのだから大中島に祀るべきと裁定をくだしたといわれる。境内には正保2年(1645)、安永7年(1778)の石祠も祀られている。
徳富の松土居の弁財天石祠は、建立年は不明(台座には昭和6年12月吉日とある)であるが石祠中央に「辨才尊天仰願」とあり、右側に「肥前佐嘉走津新田鎮座守護」左側に「國家福禄長保安全」中央下に「海濱波穏民竈烟連」とある。
いずれも弁財天の文字を刻んだ石祠であるが、西寺井安龍寺には江戸時代のものと思われる天女形の8臂(8手)の銅造の坐像があり、当時の信仰を知る貴重な資料として佐賀市重要文化財の指定をうけている。
水神の一つに龍を祀る龍神がある。法華経に龍王は海中に住して雨を司ると説かれているが、民間信仰においては、これに基づいて漁の神と雨乞いを祈る神と二面性を持っている。漁村では龍神または龍宮と呼び、農村では雨乞いの神として祀っており、諸富津や橋津に八大龍王社の石祠が祀られている。

※写真は大中島の弁財天

出典:諸富町史P.1196