新聞と久保田

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新聞と久保田

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1528

久保田藩士本野盛享は子安峻及び柴田昌吉と相談し、明治5年に読売新聞社を創設しています。盛享は、徳万町東の八田家に生まれ、後養子として小路の本野家を継ぎました。新聞社の初代社長は子安が務め、明治22年に2代目社長となり、明治42年12月死去するまでの37年間にわたって、わが国三大紙の一つに数えられる読売新聞社の基礎を築きました。
また、郷土紙佐賀新聞社の今日を築いたのも久保田出身の中尾都昭(伊八)です。都昭は、明治27年4月6日に久富に生まれ、腕白盛りを久保田で過ごしています。大正15年に農村青年新聞、昭和2年に佐賀自由新聞、昭和6年に佐賀毎夕新聞を創刊し、昭和13年に財政難に陥っていた佐賀新聞を合併、新生「佐賀新聞」が誕生しました。その後、幾多の困難を乗り越え今日の佐賀新聞の礎を築いています。

出典:ワークショップ